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奥尻島の歴史を調べていると《奥尻島の旅》に「1845年、松浦武四郎が東蝦夷地探査の途中に奥尻島を調査している」と記述されていました。松浦武四郎(1818年-1888年)は米国派工作員でした。

 

ヒプノセラピーでは「医療の闇の仕組を作った松浦武四郎」と伝えられました。探検家・松浦武四郎は、北海道各地を封印して来たのと同時に、米国と組んで日本に金儲けを目的とした現代医療のベースを置いたのです。


江戸時代から松前藩との関係で薬物を扱っていたと感じます。松前藩の始祖とされる武田信広(1431年-1494年)の御魂が上がるよう光を降ろすと「いいです」と伝えられました。

 

道南日本海側のポイントを調べて行くと、北海道瀬棚郡今金町にある「インマヌエル教会」に目が留まりました。インマヌエル教会は、東京都に本部を置くプロテスタントホーリネス系福音派キリスト教団です。


ジョン・ウエスレーによる18世紀のメソジスト運動、19世紀のホーリネス運動の流れを汲むといいます。メソジスト系プロテスタントは同和の闇の役割と過去のワークで分かっていました。


北海道瀬棚郡今金町にあるインマヌエル教会は、1892年に埼玉などからキリスト者家族が移住したことが始まりといいます。その中には、日本最初の女性医師・荻野吟子(おぎのぎんこ)がいました。

 

瀬棚のインマヌエル教会に光を降ろすと「病院の代わりとして建てた」と伴侶が伝えて来ました。荻野吟子の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「表裏を使分けていた」と伝えられました。

 

北海道開拓にはプロテスタントのキリスト教団が多いです。そこには、資金を得るための隠された目的があったと感じます。奥尻島の歴史で重要人物と思われる宇苗長造がいました。

 

宇苗長造は、1838年石川県珠洲郡狼煙に生まれ、函館、札幌を経て、1885年に奥尻島へ移住しました。青苗村、薬師村の総代に就任して、農地開拓やホタテ加工場も手掛けました。

 

宇苗長造の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「いいと思います」と伝えられました。最後に、プレート境界線としての楔が解除されるよう意図して奥尻島に光を降ろしました。

 

「楔が外れた」と伴侶が教えてくれました。日本全体を暗闇にするために奥尻島は深い闇にされて来ました。奥尻島の深い闇が統合され、統合の光が日本全体に広がって行くことを願っています。(おわり)