6月中旬、日蓮の六老僧を含む7人の直弟子についてネットで情報収集しました。《日蓮聖人弟子門流系図》に分かり易い7人の弟子の系図が示されていました。
日蓮の7人の直弟子は、日昭、日朗、日興、日向、日常、日頂、日持です。この内、日常を除く6人が六老僧とされます。ウィキペディアで各弟子の出身と関係を調べて行きました。
7人の弟子の内で、日蓮と同じ千葉県出身は、日昭、日朗、日向、日常の4人です。日興は、山梨県出身、日頂と日持は静岡県出身で、3人とも富士山周辺の場所です。
日蓮宗総本山の久遠寺は、山梨県の富士山の裾野に位置しています。日蓮宗には、富士山の地底世界である「裏インドの闇」を広げる役割があると感じていました。富士山周辺出身の3人の弟子の存在に納得しました。
さらに、昔の千葉県は麻の自生地であり、光の千葉の地を裏インドの闇で封印する意図を感じます。7人の直弟子の人間関係を調べるとかなり複雑になっていました。
日興と日向は対立して、現在でも日興派と日向派の対立は続いているといいます。日頂は、日常の養子でしたが対立して、日興派に入りました。日持は、日興の弟子でしたが不和となり離れました。
現在の日蓮宗系の宗教団体の中では、公称の会員世帯数が約827万世帯という「創価学会」が最大の団体です。1930年創立の創価学会は、元は、日蓮正宗の講の1つでした。
創価学会は、親元の日蓮正宗よりも信者数の規模で上回るようになり、長い間、対立して来ました。1952年に宗教法人の認証を得ました。日蓮正宗と創価学会は、共に日興の門流です。
以上のことから、日蓮の7人の直弟子の中で「日興」がキーになると感じました。日蓮の7人の直弟子の御魂が上がるよう意図して1人ずつ光を降ろして行きました。
日朗、日向、日常については特にメッセージはありませんでした。日興に光を降ろすと「純粋なものがある。天皇派」と伴侶が伝えて来ました。予想外のメッセージ内容でした。
日興には、純粋さがある故に、妥協を許さない真っ直ぐなものがあると感じました。日昭に光を降ろすと「丸十字の丸が二重丸になって十字架の縦棒が下に突き抜けた図が浮かんだ」と伝えられました。
純粋な闇を封じる生贄的な裏インドの闇を示唆していると感じました。日頂に光を降ろすと「この人も猪突猛進型」と伴侶が言いました。日興の弟子となった理由が分かります。
日持に光を降ろすと「ニビルの円盤がいた」と伝えられました。日持は、布教のために東北、北海道に渡り、樺太や満州にまで足を運んだと言われています。
過去のワークでは「斥候(せっこう)」と伝えられました。斥候とは、敵の偵察を行う部隊を意味します。2013年12月の函館巡礼の旅で実行寺に訪問した際、日持は光に還っていました。
歴史的な史実からは、日持は謎に包まれた僧侶でしたが、個人的には、裏インドの闇を広げる傍ら、松前藩の前身の偵察部隊としての工作員を兼ねていたと感じます。(つづく)