tokachi heiya


北海道開拓についてネットで調べて行くと《北海道・マサチューセッツ協会》のサイトを見つけました。北海道開拓時代に米国マサチューセッツ州出身の優れた専門家が来道しました。

 

ケプロン、ライマン、クラーク、ホイーラー、ペンハロー、ブルックス、カッターなどのお雇い外国人です。1990年(平成2年)、北海道と米国マサチューセッツ州が姉妹提携の調印を行いました。


それを契機に「北海道・マサチューセッツ協会」が設立されました。日本は、幕末から明治にかけて、欧米の技術・学問・制度を導入して「殖産興業」「富国強兵」を推し進め近代化を目指していました。


お雇い外国人とは、明治維新前後の近代化のために日本の政府や府県などによって雇用された外国人です。1871年(明治4年)-1881年(明治14年)での北海道の開拓使「お雇い外国人」は78人で、その60%以上が米国人です。


一方で、日本全体のお雇い外国人の数は、統計資料によると1868年(明治元年)-1889年(明治22年)で、2,690人です。英国人が40%以上で、米国人が15%だといいます。

 

北海道開拓が、いかに米国人の力を借りていたかが分かります。開拓長官・黒田清隆は、外国人雇用と機械購入を目的に渡米、連邦政府農務局長・ホーレス・ケプロンと面会し、開拓使顧問に迎える契約を結びました。


ケプロンは米国から優秀な人材を呼び寄せ、農業、工業、鉱業、医学など、さまざまな分野に送り込みました。ケプロンやクラークなど、北海道開拓の際の主要なお雇い外国人が、米国マサチューセッツ州出身でした。

 

「何故、マサチューセッツ州なんだろうか」という疑問が浮かびましたが、すぐに「清教徒が入植した場所だ」と思いました。調べてみると、英国からの清教徒によってプリマス植民地が設立された場所でした。


1620年にメイフラワー号の乗船客ピルグリム(清教徒)が、現在の米国マサチューセッツ州プリマスに移住しました。ピルグリムは、ジェームズ1世による弾圧を恐れてメイフラワー号に乗りアメリカに渡ったのです。

 

16世紀、イングランド女王エリザベス1世がイングランド国教会を確立しましたが、17世紀にかけて、教会の改革を主張する清教徒が勢力を持つようになり、特に国教会からの分離を求めるグループは分離派と呼ばれ、弾圧を受けていました。

 

イングランド国教会は、16世紀イングランド王国で成立したキリスト教会の名称で、世界に広がる「聖公会」のうち最初に成立し、その母体となった教会のことです。

 

キリスト教の聖公会の母体である英国国教会から分離した教派が、米国マサチューセッツ州に移住して、キリスト教徒にとって理想的な社会を建設することを目指しました。

 

マサチューセッツ州の名称は先住民のインディアンであるマサチューセッツ族に由来します。清教徒は、布教と開拓の名の下にインディアンと対立して虐殺した事象も残っています。

 

その米国マサチューセッツ州出身の専門家たちがお雇い外国人として北海道開拓のために来道したのです。清教徒の米国入植によるインディアンの犠牲と北海道開拓によるアイヌの犠牲が重なって来ると感じます。(つづく)