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5月上旬、中国満州の731部隊の人体実験の情報をネットで調べていた際、《大学研究者による学問の進化と人体実験?》のサイトを見つけました。北海道大学の人骨事件の内容でした。


北海道大学医学部動物実験室のロッカーなどに1000体余のアイヌ民族の人骨が、クマやシカなどの骨と一緒に放置されているのが、1980年に明らかになったということです。

 

「アイヌ民族が明らかに研究対象とされ人体実験に供され、墓も荒らされてきた歴史の経緯がある」と記述されていました。アイヌの遺骨はアイヌへ!!》には、その詳細が記されています。


2013年4月30日の北海道新聞によると、研究目的で道内外の墓地から集められたアイヌ民族の遺骨が、北大など全国11大学に合わせて1633体保管されていることが政府の調査で判明しました。


北大が1027体と突出して多く、札医大249体、東大198体、京大94体、大阪大39体、東北大20体などとなっています。《北大人骨事件のウィキペディア》では、1939年(昭和14年)から1956年(昭和31年)の時期だといいます。

 

北海道大学(北海道帝国大学)は北海道・千島・樺太の各地より研究の名目で1004体のアイヌの遺骨を収集し、時には遺族に無断でアイヌ民衆を警察により排除しての発掘が行われていたこともあったと記されています。

 

731部隊は、1940年(昭和15年)に創設され1945年(昭和20年)に廃止になっています。さらに、アイヌの遺骨が北大の他旧帝大を中心とした大学にあったことから明らかに731部隊と連動していたと感じます。

 

中国満州という植民地も、北海道という開拓地も、地域の先住民を犠牲にする人体実験をしていたのです。いずれも生物化学兵器の開発と医療のためのデータ収集が目的だったと思います。

 

〈滅びゆく民族〉―学問という植民地政策》には、アイヌという純粋なものを潰して行った、学問、研究という名目での人間のエゴの闇の本質が記述されています。

 

アイヌ人骨を収集していた注目すべき学者として「清野謙次」がいます。清野謙次(1885年-1955年)は、日本の医学者、人類学者、考古学者、考古学・民俗学資料の収集家で、京都帝国大学医学部教授です。

 

上京して目黒不動尊近くの邸宅で暮らし、太平洋協会の嘱託となり、大東亜共栄圏建設に人類学者として参加します。大東亜共栄圏建設における国民のイデオロギー的統一を積極的に企てました。

 

京都大学での愛弟子にあたる石井四郎が部隊長だった満州731部隊に対して、病理解剖の最高顧問を務め、人材確保・指導などに異常なまでにてこ入れしたとされます。(つづく)