純粋培養や染色の方法を改善し、細菌培養法の基礎を確立しました。寒天培地やペトリ皿(シャーレ)は、コッホの研究室で発明され、今日に至るまで使い続けられています。
コッホの御魂が上がるよう光を降ろすと「戦争のため」と伴侶が伝えて来ました。コッホによって炭疽菌、結核菌、コレラ菌が発見されたのは、1876年から1883年です。
初めは、戦争における防疫と衛生のためであり、生物兵器と薬剤の開発に繋がって行ったと感じます。結核菌の人体実験の情報をネットで調べて行くと《生体実験による結核予防法の確立》を見つけました。
また《BCGと人体実験 おわりに》にも行き着きました。いずれも著書は美馬聰昭(みまさとあき)医師です。「「結核予防に関する実験」は背蔭河(はいいんが:東郷部隊)、731部隊、満州国衛生技術廠(しょう)で行われました。」
「満州国衛生技術廠では、1934年(昭和9年)10月~1944年(昭和19年)4月まで子どもたちを実験動物として結核の研究が行われます。人体実験が主に、伝染病研究所が文部省に移管された後の1915年(大正4年)頃から行われていたと推察できることです。」
「『結核予防接種に関する報告書』では、4953人の人体実験結果が掲載されています。これは人類史上最大の人体実験集で、今も財団法人結核予防会、東北大学図書館に保管されています。」
上記のことが「BCGと人体実験」に記述されています。伝染病研究所は、現在の東京大学医科学研究所です。人体実験が伝染病研究所が文部省へ移管された後が主になっていることは、学校の子供たちが対象になったということです。
日本の政府、厚労省、文科省などの行政機関が、人体実験とデータ収集のための人体実験の事実を隠蔽して暗闇を作って来たことが分かります。また、現在も普及しているBCGについても言及しています。
「BCG接種が結核予防に効果があるというのは虚偽の話です」「日本のBCGの治験は国際舞台ではほとんど通用しません」とも述べています。現代医療における感染症、特効薬としての抗生物質、ワクチンが光に見せかけた闇であることを示唆しています。
《戦争と医学 日本医学会の「15年戦争」の荷担の実体と責任》には、731部隊を中心に医療と人体事件の歴史が多くの画像と資料と共に示されています。日本医師会の下部組織学会の製作であることに希望の光を感じます。
世界の中でも日本は、特に歴史的な事実が意図的に隠されて来ました。真実の隠蔽の積重ねが今日の日本の深い暗闇に繋がっています。隠された真実を明らかにしていくことが暗闇に光を入れることになります。(つづく)