rishirifuji


光の講座のエネルギーヒーリングで、三木露風作詞の童謡「赤とんぼ」がテーマになりました。「赤とんぼ」とは「赤の十字架」を意味し、人は赤の十字架を背負っているというキリスト教の闇を示唆していると感じました。

 

三木露風は、1916(大正5)から8年間、道南のトラピスト修道院で文学講師を務めており、カトリックの洗礼を受けてクリスチャンになりました。 キリスト教の信仰に基づく詩集などを著し、バチカンからキリスト教聖騎士の称号を授与されました。

 

キリスト教の闇の役割を担っていたと感じました。「赤とんぼ」の歌から「赤十字」につながり、「日本赤十字社」「赤十字社」関連についてワークを行うことにしました。日本赤十字社は、日本における赤十字社で、1952(昭和27年)に制定された日本赤十字法よって設立された認可法人です。

 

前身としての「博愛社」は、1877年の西南戦争時に設立され、1886(明治19)ジュネーブ条約に調印した日本政府の方針により、翌1887(明治20)に日本赤十字社と改称したことが、現在の日本赤十字社という呼称の始まりです。

 

戦前の日本赤十字社は陸軍省、海軍省管轄の社団法人、戦後は厚生省管轄を経て、現在は厚生労働省管轄の認可法人です。伝統的に皇室の援助が厚く、初代の昭憲皇太后以降、歴代の皇后を名誉総裁とし皇太子妃の他の皇族を名誉副総裁とします。

 

日本赤十字社は、全国に92の赤十字病院、79の血液センターを運営し、赤十字病院は救急医療に関して、第3次医療機関に指定されています。血液事業は日本で唯一の献血を原料とする製剤を製造します。

 

日本赤十字社の基本精神は「人道・公平・中立・独立・奉仕・単一・世界性」です。日本赤十字社の前身の博愛社は、国際赤十字の精神を発現する団体として創設され、赤十字として認知されるよう活動していました。

 

博愛社は、旧田野口藩主の伯爵・大給恒(おぎゅうゆずる)、元老院技官後に伯爵となった佐野常民(さのつねたみ)、同じく後に子爵となる桜井忠興(さくらい ただおき)らが、西南戦争の1877(明治10年)に熊本洋学校に設立しました。

 

熊本洋学校(熊本洋学校教師館ジェーンズ邸)は、明治4(1871)に熊本藩が熊本洋学校を開設した際に招いた米国人教師リロイ・ランシング・ジェーンズのために造らせた邸宅です。ジェーンズは、1871年にアメリカ・オランダ改革派教会の宣教師のグイド・フルベッキの斡旋で来日しました。

 

ジェーンズは、日本にプロテスタントのキリスト教を広める志を持つ洋学校の生徒35名の集まりである熊本バンドの礎を築きました。熊本バンドは、新島襄の同志社英学校につながり、出身者は、牧師、教職、官公吏、政治家などになり、日本のYMCA設立にも関与しました。

 

こうした博愛社の歴史から日本赤十字は、キリスト教をベースとした欧州の闇に深くかかわっていると感じます。西南戦争やその後の日清戦争、日露戦争などの戦争を通じて、表の米国の闇と裏の欧州の闇の基盤を構築してきたのです。(つづく)