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織田信長は、イエズス会経由でポルトガルから鉄砲を入手した可能性もあると感じます。イエズス会も、信長にキリスト教の布教を認められて活動していきます。信長とイエズス会は、両者にとって都合が良かったのです。

 

信長にとってイエズス会を通じて鉄砲や火薬などの武器を調達できます。イエズス会にとっては、信長を使って仏教勢力を打破して、布教によりキリシタンを増やしてキリスト教による日本の支配を狙っていたと感じます。

 

信長はなぜ、イエズス会と決別したのか》には、信長がイエズス会と手を切った理由が述べられています。イエズス会が信長に提示した内容は、スペインとの親交と中国の明国への出兵であり、信長は、それを拒絶したのではないかといいます。

 

イエズス会は、アジア進出のためにインドのゴアに拠点を置きました。さらには、中国大陸の制服のために日本を足掛かりにしようとしていたのです。表ではキリスト教の布教を行い、裏では反社活動を通じて、莫大な利益を得るための植民地の拡張です。

 

信長は、安土城内の摠見寺(そうけんじ)に自分を神と祀らせて、家臣や領民に参拝させました。キリシタン勢力と決別したことを知らしめる意味があったのです。その後、信長の命運が尽きる本能寺の変が起きます。

 

本能寺の変は、195862日、早朝、京都本能寺に滞在中の織田信長を家臣の明智光秀が謀反を起こして襲撃した事件です。信長は寝込みを襲われ、包囲されたのを悟ると、寺に火を放ち自害して果てたとされます。

 

しかし、戦後、明智勢は信長の遺体を探しても見つからず、光秀も不審に思って捕虜に色々尋ねてみたが行方が分からずじまいでした。このことから信長は、逃亡して生存していたという説も存在します。

 

家臣の明智光秀が主君の織田信長を討つ理由については諸説ありますが、《伴天連が目撃した「本能寺の変」》で筆者が唱える説には納得できます。イエズス会が光秀を唆して信長を討つクーデターを起こしたというものです。

 

日本中に内乱が広がり、日本の防衛力を著しく弱体化させ、キリスト教信者を広げた上で、日本を植民地にしようとしたのに違いないと述べています。それらの手口は、日本以外のアジア諸国が植民地にされた手法と同じだといいます。

 

ネットで調べていくと、信長の周辺には、イエズス会の工作員やスパイが配置されていたことが分かります。イエズス会のポルトガル人の宣教師で「日本史」の記録を残した工作員のルイス・フロイスがいます。

 

また、イエズス会から信長に家来として贈られたモザンビーク人の弥助もスパイだったと思います。いずれにしても、キリスト教カトリック勢力が権力者の背後で操り、日本を自分たちの支配下に置こうとしていたのは間違いないと感じます。(つづく)