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多胡碑の「羊」が秦氏であることを裏付けるサイトとして《日本・謎の石造遺物紀行》がありました。碑文にある「羊」とは人名を指すとみられ、この「羊」に関しては、羊太夫伝説という不思議な物語が群馬県南西部中心に語り継がれていることが紹介されています。

 

その中には、この土地の人は、多胡碑を「羊様」と呼び、羊太夫のお墓だと信じて、今でも神様としてお祀りしているといいます。また、興味深いのは、多胡碑から十字架が出たという記録があります。

 

備前国平戸藩の第9代藩主・松浦静山(1760-1841)が隠居後に記した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に、その一件が取上げられています。さらに、この多胡碑の下から「JNRI」というローマ字が記された銅板も見つかったといいます。

 

JNRIとは、ラテン語で「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」を意味する略語のINRI(Iesus Nazarenus, Rex Iudauorum)のこととされます。もう1つ《和銅保勝会 羊太夫伝説をめぐって》には、和銅採掘遺跡と羊太夫の関係が記載されています。

 

和銅採掘遺跡は、埼玉県秩父市黒谷の和銅採露天掘跡を中心とする遺跡です。708年、この地から発見された自然銅(ニギアカガネ)が朝廷に献上されました。これを大いに喜んだ元明天皇は、元号を「和銅」に改元し、日本最初の流通通貨・和同開珎を発行しました。

 

「秩父に伝わる羊太夫は、渡来人の採銅・製銅技術と和銅献上に深く結びついていて語られていることが大きな特色である」といいます。多胡碑のある群馬県前橋市周辺にも多くの鉱山があり、羊太夫とは、鉱山に関係した秦氏一族とも感じます。

 

海外との貿易は「銀」が基準であり、金銀銅などの貴金属の鉱山は非常に重要でした。秦氏一族が鉱山と関係するとキリシタンの山師である丹波弥十郎についての《金山と繋がっていた隠れキリシタン》に繋がってきます。

 

ここで、多胡碑の碑文に記された藤原不比等と「羊」としての秦氏がどういう関係なのか疑問になります。ネットで調べると《われわれ忌部は秦氏である/裏神道高官との対話より》という重要なサイトを見つけました。

 

「秦氏には色々な職業、家系がある。例えば、政治関係を担当した秦氏は藤原家がある。経済担当は三井家があり、三井家が神宮遷宮時の費用を捻出しておった。武家担当の秦氏には源平等がある」「秦氏は歴史から姿を消した。それは改名したに過ぎない。役割分担をはっきりさせると共に国体の護持の為に秦氏は改名したのだ」と記述されています。

 

過去のワークから日本のお金や経済の中心は、三井家だと分かっていましたので、この情報は正しいと感じます。日本の国体構築のために、秦氏が歴史から姿を消し、役割分担のために各々の姓に改名したのです。となると、多胡碑の「羊」は、鉱山担当の渡来人を指すのだと思います。

 

漢波羅奥義公開》には、カバラ(漢波羅)、原始キリスト教、秦氏、神道、八咫烏が深い関係があることに言及されています。「迦波羅は陰と陽の教義。陰と陽とは イエス キリストを指します」「原始キリスト教がカバラなんです。間違えなく神道は原始キリスト教です。当然カバラの集団で中央に隠れた存在が 八咫烏です」と記しています。

 

原始キリスト教が全ての基礎にあると感じます。原始キリスト教の闇の原点は「支配」です。キリスト教の特徴は裏表を使い分けることです。秦氏は、表舞台から姿を消し、裏でキリスト教の支配の闇の基盤を継続して来ました。原始キリスト教の闇の統合が最期のワークになると感じます。(おわり)