himekawa


8
16日、北海道八雲の地を封じる闇となった青松葉事件を裏で画策したとされる岩倉具視が気になっていて、伴侶に話しました。すると、「朝方、Yさんと話している電話口で、あなたが凄く怒っている夢を見た」と伴侶が言いました。

 

「もしかすると、Yさんの過去世は岩倉具視かもしれない」と伝えて来ました。知人のYさんは、岩倉具視の画像を観ると雰囲気的に似ていると感じました。そうなると、過去世の自分も青松葉事件に関わっていたことになります。

 

岩倉具視(1825-1883)は、京都出身の公家、政治家です。維新の十傑の1人とされ、500円紙幣の肖像画になっています。ウィキペディアを読むと、岩倉具視は、元は佐幕派だったのが、蟄居時代の1865年の秋頃から討幕派に変わったのです。

 

青松葉事件は、3年後の1868年に起きています。1853年のペリー来航から1867年の大政奉還までの15年間が明治維新とされます。激動の明治維新が終わり、幕府体制を終わらせて、明治新政府の体制で国を動かしていくために必要だったと感じます。

 

岩倉具視の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「あなたの子分だった。人の心情がよくわかり、上手く動かしていた」と伴侶が伝えて来ました。やはり過去世の自分が青松葉事件に関わっていたと分かりました。

 

知人のYさんの中の岩倉具視の過去世が統合するように意図して光を降ろすと「いいです」と伝えられました。次に、尾張徳川家の徳川慶勝と青松葉事件で犠牲になった家臣についてのワークを行うことにしました。

 

尾張徳川家は、紀州徳川家、水戸徳川家と並ぶ、徳川氏の支系の徳川御三家の1つです。御三家の筆頭格であり、諸大名の中で最高の格式を有しました。ウィキペディアを読むと、明治維新で、徳川慶勝が佐幕派から討幕派に転じて官軍につきました。

 

その後、侯爵を授けられ、第16代・義宜が名古屋藩知事になったとされます。徳川慶勝にとって、明治維新後の尾張徳川家を守るための青松葉事件であったと感じます。斬首された14名の家臣たちの御魂が上がるよう、名古屋城内にある「青松葉事件之遺跡」碑に光を降ろしました。

 

「いいです」と伝えられました。青松葉事件という理不尽な状況下で命を奪われた人たちの魂が還っていって安堵の思いでした。徳川慶勝の御魂が上がるよう光を降ろすと「いいと思います。恨みはない」と伴侶が伝えて来ました。

 

八雲神社、青松葉事件の他に、ネット検索を通じて、八雲町の闇の解除ポイントを探していきました。調べていくうちに、八雲の地は、先住民のアイヌ民族との縁が深い場所であり、アイヌの純粋さが穢された歴史が隠蔽されていると感じたのです。(つづく)