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歯医者の予約をした伴侶が、夜になって「歯科の病院に何かいる感じがする」と伝えて来ました。歯医者の先生は、伴侶と過去世で縁があると分かっていました。先生と歯科の建屋全体を意図して光を降ろしました。

 

「先生はいいです。歯医者の中に何かいた。プレアデスの闇」と伝えて来ました。歯医者の建屋からプレアデスの闇のエネルギーが出ていました。野幌森林公園の土地を封じるための闇のエネルギーだと感じました。

 

野幌森林公園の土地は、昔は原始林に覆われた大きな光の場所であり、それを封じるために重たい闇のエネルギーが必要だったのです。現実的には、大金がやり取りされる麻薬と人体実験だと感じていました。

 

これまでの北海道開拓の歴史の調査とワークで分かったことは、大麻栽培や医療データ収集のために犠牲になったのがアイヌの人たちです。現在の野幌森林公園の地で何が行われたのかネットで調べていきました。

 

野幌屯田兵村地域の変容》には、「農耕地は樹林を切り開き、鍬で耕鋤(こうじょ)し、そこに小麦・大麦・大豆・馬鈴薯・麻・桑等を栽培した。中でも大麻の栽培と養蚕は屯田兵本部の奨励したもので、このため養蚕・製麻場が設けられた」と記されています。

 

江別の屯田兵》には、「屯田兵村では、麦・豆類・馬鈴薯などの他に養蚕と麻の栽培が勧められ、野幌駅の鉄道沿線一帯に桑園、大麻方面には麻畑が広がっていたのです」と書かれています。

 

また、《亜麻栽培の経済性》には、「大麻は屯田兵が中心となって栽培し、繊維を取り出し、製紙するなど試みられていた」と記述されています。北海道開拓における大麻の栽培は、屯田兵によって行われていたようです。

 

繊維、薬用成分、食用油などが採れる大麻の有用性は《大麻の栽培と利用》にも詳細に記載されています。大麻は栽培しやすく、資金稼ぎには非常に有効だったと感じます。北海道開拓における屯田兵とは、大麻栽培を行うために設けられたようです。

 

屯田兵のウィキペディアには、「北海道の警備と開拓にあたった兵士とその部隊で、1874(明治7)に制度が設けられ、1904(明治37)年に廃止された」とあります。榎本武揚や西郷隆盛などが、徳川家の遺臣や士族の処遇のために屯田兵を提唱していました。

 

屯田兵は、明治政府が日本の新体制を構築するために従来の特権を剥奪した人々です。北海道開拓における資金稼ぎのための大麻栽培のための屯田兵は、開拓使が廃止されると陸軍省に移管され、日清戦争、日露戦争などの戦地の兵士として利用されたのです。(つづく)