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8日、朝起きると、どこかの店で買い物をしている夢を見ていたのを覚えていました。日本ではない外国で、男女の洋服の店だと感じました。思い返していくと「J.プレス(J. Press)」だと感じました。J.プレスは、若い頃に好きだった米国の紳士服ブランドです。

 

自分の米国の過去世と関係あるのかもしれないと思い、J.プレスのウィキペディアを見ていきました。J.プレスは、アメリカ合衆国の紳士服を中心とする洋服販売店およびそのブランドで、1902年、コネチカット州ニューヘイブンにおいてジャコビ・プレス(Jacobi Press)によって創業されました。

 

同社の米国コネチカット州ニューヘイブンの本店はJ.プレス最大の店のままであり続けており、現在は、ニューヨーク・ワシントンD.C.・ケンブリッジの3都市に支店を有しています。1974年に創業家は、J.プレスを日本市場で販売する権利を売却し、日本のアパレル企業グループのオンワードホールディングスの子会社となっています。

 

1902年の創業以来、J.プレスは現在のアメリカでは稀になった伝統的な三つボタン様式のジャケットを基本として生産し続けていて、アイビー・リーグ校に因んだ柄や色も多いです。紺ブレなど紳士服で知られるJ.プレスは、伝統的なアイビー・スタイルのブランドとしています。

 

さらに「アイビー・リーグ」「ニューヘイブン」が気になり調べていきました。「アイビー・リーグ(Ivy League)」は、米国北東部にある8つの私立大学の総称です。米国の政財界・学界・法曹界をリードする卒業生を数多く輩出しており、米国社会では伝統的に「東海岸の裕福な私立エリート校グループ」と捉えられています。

 

アイビー・リーグの構成大学はブラウン大学、コロンビア大学、コーネル大学、ダートマス大学、ハーバード大学、ペンシルベニア大学、プリンストン大学、イェール大学の8校で、いずれも各種ランキングで全米トップクラスに位置する難関校とみなされています。

 

8校のうち、コーネル大学を除く7校は独立戦争前に創立され、早くから植民地での高等教育において中心的な位置を占めていました。男子校だった上に、殆どの学生は、白人・プロテスタントで独立戦争前から米国に住む裕福層の出身でした。

 

アイビー・リーグという言葉は、白人のエリート層を指す語として使われるようになりました。「ニューヘイブン」は、アメリカ合衆国コネチカット州南部に位置する都市で、イェール大学がキャンパスを構える学術都市としてつとに有名です。また、市内にニレ(エルム)の木が多く立っていることから、The Elm City(エルムの街)という別名を持っています。

 

ニューヘイブンは、全米最初の計画都市のひとつとしても知られており、米国大統領ゆかりの街でもあります。ジョージ・ウォーカー・ブッシュは父ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュがイェール大学在学中に、このニューヘイブンで生まれました。ビル・クリントンは、イェール大学のロー・スクール在学中にヒラリー・クリントンと出会い、このニューヘイブンで暮らしました。

 

ニューヘイブンのウィキペディアの中の「日本との関係」には、驚くような内容が記載されていました。「明治初期より多くの日本人留学生がニューヘイブンに在住しており、1870年時点で大村純雄、町田啓次郎、橋口宗儀、児玉章吉、大原令之助、湯地治右衛門、南部英麿の名がある」

 

1870–80年代の20年間だけでも、山川健次郎、山川捨松、永井繁子、原六郎、岩男三郎、赤羽四郎、田尻稲次郎、津田純一、瓜生外吉、箕作佳吉、相馬永胤、鳩山和夫、松井直吉、岡部長職、中島力造、松方幸次郎、岩崎清七、大久保利武、湯浅吉郎、吉田鉄太郎、市原盛宏、原田助、樺山資英など45名が在住した」

 

「彼らは宣教師宅などに寄宿し、イェール大学、ホプキンス・グラマースクール、カレッジエイト・アンド・コマーシャル・インスティチュート、私立学校アボット・スクール、ヒルハウス高校などで学んだ」とありました。明治維新後に渡米していたことから、日本を米国の支配下に置くために、キリスト教プロテスタントの影響の下で、米国の工作員を養成していたと感じます。

 

1870年代のニューヘイブン在留者の一人ひとりを見ていくと、その多くが薩摩藩出身でした。私が唯一知っている名前が政治家の鳩山和夫でした。鳩山和夫(1856-1911)は、鳩山由紀夫元首相の曽祖父です。このことは、日本が戦争の道を突き進み、原爆投下によって敗戦して米国の傘下に入る青写真が存在していたことを示唆します。(つづく)