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大籠(おおかご)キリシタン殉教公園は、岩手県一関市藤沢町におけるキリスト教布教と殉教の歴史を後世に伝えるために作られた公園です。ウィキペディアによると、江戸時代、大籠の一帯は仙台藩の領内であり、たたら製鉄を行う地として栄えていました。

 

たたら製鉄を行う製鉄所は「炯屋(どうや)」と呼ばれており、この炯屋を経営していた千葉土佐が、製鉄の技術指導のために備中国(岡山県)から千松大八郎・小八郎という兄弟を大籠に招きました。この千松大八郎・小八郎兄弟がキリシタンであり、この地で布教を始めました。

 

また、カトリック修道会のフランシスコ会のフランシスコ・バラヤス神父がこの地を訪れ布教にあたり、大籠のキリシタンはさらに増加しました。しかし、キリシタンの迫害はこの地にも迫り、キリシタン改めを行う台転場がもうけられ、そこで踏み絵などが行われました。

 

キリシタンであることが判明すると、打ち首や磔などにより処刑されました。寛永16年(1639年)から数年間で300人以上の信者が処刑されたと言われています。大籠キリシタン殉教公園の歴史は、「キリスト教」と「たたら製鉄」が結びついていました。

 

これまでのワークでは、「キリスト教」と「たたら製鉄」は、松果体摂取と関係していたと分かっています。秘密裏に人間を殺めて松果体摂取を行った後、遺体を処理するために、火を使う「たたら製鉄」は、非常に都合が良かったのだと思います。

 

次に、エネルギーワークに移りました。まず、大籠キリシタン殉教公園の全体に光を降ろすと「いいです」と伴侶が伝えて来ました。たたら製鉄とキリスト教を伝えた千松大八郎の墓は《千松大八郎の墓》に画像がありました。千松兄弟の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「いいです。松取り」と伝えられました。

 

千松兄弟は「松」の字を使っており、「松果体」を示唆しています。これまで松果体摂取に縁のある人物の名前や地名には「松」が付いていることがあります。「祭」「政(まつりごと)」「祀る」は、いずれも「松利(まつり)」「松利事(まつりごと)」から来ており、松果体利権を暗示していると感じます。

 

最高の闇の秘密を解明できるように「松」「まつ」がヒントとして残されたと思います。《その67.みちのくのパライソに行ってきました》に、大籠キリシタン殉教公園の史料館にあるフランシスコ・バラヤス神父の人形の画像が掲載されていました。フランシスコ・バラヤス神父の御魂が上がるよう光を降ろしました。

 

「裏のキリスト教の教義。いかに松を取るかが神への奉仕」と伴侶が伝えて来ました。隠されたキリスト教の教えは、「密かに多くの松果体を収穫することが最も大切」ということです。神への奉仕になる裏の教義があるからこそ、隠れキリシタンが実働したのだと思います。

 

1613年、仙台藩主・伊達政宗は、支倉常長らを慶長遣欧使節としてスペイン王国国王・フェリペ3世、及びローマ教皇・パウロ5世のもとへ派遣しましたが、失敗しました。使節の目的は、仙台領内でのキリスト教布教容認と引き換えにノビスパニア(メキシコ)との直接貿易の実施だったとされます。

 

メキシコの地は、ピラミッドがある場所であり、松果体利権を含めた利権の交渉だったと感じます。伊達政宗と支倉常長にも魂が上がるよう光を降ろしています。いずれにしても、岩手の地は、大事なシリウスの光がある場所なので、松果体摂取が集中的に行われ闇で封じてきたと感じます。

 

学校で習う歴史や世の中で常識となっている歴史は、その多くに真実が隠されています。現在のアドレノクロムに繋がる松果体摂取の闇を探求していくことで隠蔽された真実が明らかになっていくと感じます。一関市の地が開かれて光が広がっていくことを願っています。(おわり)