himekawa


ICU
の地下施設についてネットで調べていくと興味深いサイトが2つありました。1つは《中島飛行機三鷹研究所―その稼働期―(高栁昌久著)》の論文です。富士重工業東京事業所・国際基督教大学(ICU )キャンパスの前身のアジア太平洋戦争中に建設された中島飛行機三鷹研究所の稼働について詳細が記されています。

 

その中には「おわり」の前に「地下壕」の項目があり、「長い地下壕」「大規模な防空壕」「小規模な防空壕」の題名別に記述されています。「現在もICUの構内には、地下6–10 mの関東ローム層内に、高さ2 m・幅 1.8 m程の半円型で壁面にシャベルやクワで掘った跡が残る、素掘りの長い地下壕が現存する。」

 

「所々に地上に抜ける穴が作られていた。総延長は2km以上と思われる。」「三鷹研究所には、野川の崖面に入口があり、爆風を避ける為の左右に分岐する横穴をもつ、百数十m2百数十mの長さの2本の大規模な防空壕があった。」

 

「これらの壕は朝鮮人労働者によって掘られたものと思われる。」「お野川の崖を掘った際、1mほどの穴に玉砂利が敷きつめてあり、頭を東に向けた遺体が2体並んでいたので、近くのお寺に持っていき手厚くお弔いをしたとの回想もある。」など地下施設について記載されています。

 

もう1つは、《ICUの見どころ》で、現在のICUのキャンパスと施設を紹介しています。その中には、「地下に張り巡らされた秘密の通路 各建物に、電力と冷暖房用の水を運ぶ為の通路です。このため、ICUの建物には電線がつながっておらず、すっきりしています。」と地下施設があると記述されています。

 

また、「☆縄文の森 縄文時代の住居跡があります。保護のため土で埋め戻されており、見ることはできません。この一角は縄文の森と呼ばれています。」と記載されており、ICUキャンパス内には、縄文時代の森が残されており、自然豊かな場所だと分かります。

 

さらに、「☆禁断の庭園? ベンチが並んだきれいな庭園なのですが、人がいるところを見たことがありません。誰も寄り付かないのは、ここの管理人さんが厳しいことが理由かもしれません。この建物を通っただけで、わざわざ外まで追いかけて来て、通らないようにと注意してきました。」とあります。

 

ICUの創設者や関係者に対して、故人には御魂が光に還るよう意図し、健在の人には闇の統合を意図して光を降ろしました。「トカゲ。松」「松喰い」「お飾り」「サンカ。恨みを持っている」など伴侶が伝えて来ました。最後にICUキャンパス全体に光を降ろすと「いいです」と伝えられました。

 

ベンジャミン・フルフォード・レポート》には、「第二次世界大戦中に日本に建設された地下施設が300あり、それらは日本帝国の旧陸軍および海軍基地から改造されたものですと日本の軍事情報筋は述べています。」「日本では、軍事情報報告の準備が東京と京都の地下基地に対する大規模なキャンペーンのために進行中です。」と記載されています。

 

戦時中の地下壕や防空壕とされていた場所が松果体摂取に利用されていた可能性が高いと感じます。過去のワークで、軍都の城や施設、自衛隊基地、野球場などのスポーツ施設に光を降ろすと「裏インド」「逆ピラミッド」と伝えられたことが多くありました。

 

トカゲレプティリアンによる地下の人間牧場の存在を考えると、日本には東京都、京都府を中心にして各地に、松利権のための地下基地が作られて来たと感じます。大きな地下水脈のある光の場所としてのICUキャンパスを含む武蔵野の地を封じるための大きな闇の地下基地だったと思います。(つづく)