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函館山にあるキリスト教各宗派の4つの教会と設立年を調べてみました。《あなたのテーマでディープな函館 「教会・修道院」》によると、函館市で一番古い教会が函館ハリストス教会(ロシア正教会)で起源は1858(安政5)です。

 

カトリック元町教会(ローマ・カトリック)の起源が1859(安政6)、日本基督教団函館教会(プロテスタント)の起源が1874(明治7)、日本聖公会函館ヨハネ教会(英国国教会(聖公会))の起源が1874(明治7)と続きます。宗派が異なるキリスト教会がどうして函館山に作られたのかが疑問です。

 

ちなみに、函館要塞(函館山にある津軽要塞)の完成は、1902(明治35)です。1891(明治24)に、陸軍が函館に防備施設を建設する裁可を受けます。日清戦争が始まった1894(明治27)、要塞指令部条例の公布によって要塞が建設されることになり、1896年(明治29年)、北海道の函館港及び函館湾守備を目的に計画されました。

 

北海道の玄関口である函館の地にキリスト教会が作られたのは、「利権」の掌握だったと感じます。布教を名目にしてアイヌを対象とした松果体利権と薬利権の確保だったと思います。また、医療伝道の名の下での人体実験とデータ収集があったと感じます。

 

函館と館山を封じた重たいキリスト教の闇》には1882(明治15)、日本聖公会宣教の初期に千葉県館山市の安房大貫キリスト教会で医療伝道が始まったことが記述しています。館山の地も地下壕などの軍事施設が多く作られた場所です。

 

首都東京の防衛のための「東京湾要塞」の建設は、1880(明治13)から1932(昭和7)までの約半世紀の間、行なわれました。地下空間の総延長1.6kmと国内最大とされる「赤山地下壕」は1944年頃、作られたとされます。

 

過去のワークで「裏のキリスト教の教義は、いかに松を取るかが神への奉仕」と伝えられました。密かに多くの松果体を収穫することが隠されたキリスト教の教えなのです。館山のキリスト教による医療伝道と東京湾要塞の連動は、「表の米国、裏の欧州」と言われる欧米の闇の日本進出を感じさせます。

 

【秘密結社の謎】外国人墓地 ライカ北紀行 —函館—》には、利権獲得のために欧米の闇の日本への進出を裏付ける証があります。函館山の麓の外人墓地には、フリーメイソンの墓が4つあるといいます。1857(嘉永7)、ペリーが函館に来た時の乗員の墓だとされます。

 

汽船船長のキルゴア、汽船機関長のトッド、ブラキストン商会の相棒であるマアとスコット、いずれも英国人です。《日本のフリーメイソンリー》には、ペリー自身がフリーメイソンであった記されていますが、過去のワークからも分かっています。欧米のフリーメイソンは日本で金儲けをする利権を目的としていました。

 

日米和親条約が締結され、下田・函館の開港が布告されると、米国のペリー提督はまず箱館に来て、松前藩と交渉しました。函館に大きな利権が存在していたからだと思います。当時、北海道の利権を握っていたのが松前藩です。

 

日本は開国して、明治維新、北海道開拓、戦争の道と植民地の拡大路線を進んでいきます。第二次大戦で敗戦して米国の傘下になるまでの青写真が欧米の闇によって作られていたようにも思います。日清戦争、日露戦争、大東亜戦争などの戦争は、松利権、薬利権などの金儲けのために行われて来たとも感じます。(おわり)