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日本全国の地下壕の総数をネットで調べていくと《危険な地下壕、全国487カ所 陥没で死者・家屋被害も》の朝日新聞の記事がありました。戦時中、防空用に造られた地下壕が全国の市街地に9850カ所あり、崩落などの危険があるものは487カ所にのぼります。

 

道路が陥没して通行人が死亡する事故も起きているといいます。最新の2017年度(平成29年度)国交省の調査結果の《平成29年度特殊地下壕実態調査結果について》によると、地下壕数は、日本全国で7960箇所となっています。

 

地下壕が多い都道府県には、鹿児島県(1700)、広島県(801)、宮崎県(675)、大分県(625)、長崎県(554)、熊本県(464)、神奈川県(461)、千葉県(364)、山口県(281)、静岡県(250)があります。地下壕数は、鹿児島県が最も多く、九州地方に多いことが分かります。

 

どうして鹿児島を中心に九州地方に地下壕が多いのか、です。全ての地下壕が松利権の闇に関係しているとは言えませんが、地下壕が多い場所程、松利権の闇と深い関係があると思われます。これまでのワークでは、鹿児島県の薩摩藩は「裏インドの役割」と分かっています。

 

「薩の海軍、長の陸軍」と言われるように、薩摩は海軍の中心でした。歴史的にも、中国や朝鮮半島からの渡来人が来たのは九州です。また、日本にはじめたキリスト教が伝来した地は薩摩の地であり、必然的に、松果体摂取の闇と関係が深くなったと感じます。

 

逆に言えば、古くから薩摩藩は、松利権を有していて大金を得ていたと言えます。それ故に、戦時中も薩摩の地で、松利権の行使が行われていた可能性があります。薩摩藩の藩主・島津氏の家紋が「丸十」という「純粋な闇を封じるエゴの闇」の役割だったことにつながります。

 

ネット情報の《ベンジャミン・フルフォード・レポート》には、「第二次世界大戦中に日本に建設された地下施設が300あり、それらは日本帝国の旧陸軍および海軍基地から改造されたものですと日本の軍事情報筋は述べています。」「彼らは、日本がカザリアンマフィアに年間16,000人の子供を提供することを余儀なくされたと言います。」

 

「これらの子供たちは、東京の地下基地から鹿児島県志摩市(※恐らく志布志市の誤植)に輸送されます。そこから、中国の海南島に輸送されます。日本の海軍情報局によると、アジア最大の人身売買ハブです。」と記述されています。

 

戦時中の地下壕建設の時からの人身売買を含む松利権の闇が現在まで継続してきたと感じます。鹿児島県志布志市の地下壕を調べると《「本土決戦」決死の防衛網は今 米軍上陸想定、鹿児島に残る地下壕や要塞跡》の西日本新聞の記事がありました。

 

「湾は太平洋につながり、港湾都市として栄えてきた鹿児島県志布志市。海岸沿いの断崖には449月ごろから、日本軍による本土防衛のため、全長16キロに及ぶ地下壕(ごう)が掘られた。旧志布志町誌によると、軍幹部は地下壕を「日本一」「全軍の模範」と評価し、457月時点で8090%完成していた。」と記されています。

 

志布志市に日本一の地下壕があったということは、ネット情報の信憑性の裏付けになると思います。薩摩藩は、古くから松利権の拠点として使われて来たと感じます。1600年以降に、奄美群島や琉球王国も配下にして来たことからも、松利権の行使と拡大によって、経済的に裕福であったことがうかがえます。(つづく)