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20日、朝起きると夜中に右前頭部に強い痛みがあったのを覚えていました。前日の夜、少しの時間観ていたテレビ番組で、初めて名前を知った「南方熊楠(みなかたくまぐす)」に関係していると感じました。南方熊楠を調べていけば何か新しいことが分かると思いました。

 

南方熊楠(1867- 1941)は、和歌山県和歌山市出身の博物学者、生物学者、民俗学者です。生物学者としては粘菌の研究で知られているが、キノコ、藻類、コケ、シダなどの研究もしており、さらに高等植物や昆虫、小動物の採集もおこなっていました。

 

そうした調査に基づいて生態学(ecology)を早くから日本に導入したことが注目されます。 1929年には昭和天皇に進講し、粘菌標品110種類を進献しています。民俗学研究上の主著として「十二支考」「南方随筆」などがあり、その他にも、投稿論文、ノート、日記のかたちで学問的成果が残されています。 

 

英語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、ラテン語、スペイン語に長けていた他、漢文の読解力も高く、古今東西の文献を渉猟しました。南方熊楠のウィキペディアを読むと、工作員の可能性を感じました。1つは、1884(明治17)に、大学予備門(現・東京大学)に入学し、同窓生に塩原金之助(夏目漱石)、正岡常規(正岡子規)がいたことです。

 

過去のヒプノセラピーで夏目漱石は、石川啄木と共に工作員(米国派)と伝えられていました。正岡子規も工作員の可能性があると感じます。与謝野晶子、与謝野鉄幹、宮沢賢治などの工作員であり、明治時代の文学者には、フリーメイソン天皇派や米国派の工作員として活動していた人たちがいます。

 

表世界で大きな看板となる職業を持ち、自由な時間がある人物は、裏世界で光を封じる闇の仕事をする工作員にうってつけなのです。もう1つは、東京での学生生活の後に渡米、さらにイギリスに渡って大英博物館で研究を進めたことです。南方熊楠の父は、南方酒造を創業して財力がありました。

 

大学卒業後に、渡米してパシフィック・ビジネス・カレッジに入学し、その後、ミシガン州農業大学にも入学しましたが、大学に通うことなく、図書館と自然の中での観察の生活をしていました。1893(明治25)のイギリス滞在時に、科学雑誌「ネイチャー」誌上での星座に関する質問に答えた「東洋の星座」を発表しました。

 

生涯で「ネイチャー」誌に51本の論文が掲載されており、これは現在に至るまで単著としては歴代の最高記録であるとされています。客観的にみると、明治時代に米国や英国に渡って研究を行い、一流の科学雑誌のネイチャーに多くの論文が掲載されることは尋常ではないと思います。

 

さらに、昭和天皇に進講することが出来る程の著名な研究者の地位に就いたことから、背後に大きな組織の支援があったと感じます。南方熊楠の御魂が上がるように意図して光を降ろすと「ロスチャの工作員」と伴侶が伝えて来ました。やはりロスチャイルド(天皇派)の工作員でした。南方熊楠は、柳田國男宛書簡で「植物棲態学 ecology」という言葉を用いています。

 

現代の「エコロジー」は、「環境に配慮する」という自然保護活動として使われていますが、実は、これがロスチャイルドの策略なのです。地球温暖化を抑えるために二酸化炭素排出を抑制して、アナログ的なものを排除して、デジタル化し、世界システムの全自動化、一元管理化によって人類を強固な支配下に置くことを目論んでいます。

 

現実的には、地球は温暖化ではなく冷却化に向かっています。欧州のユダヤ財閥・ロスチャイルドは、今は中国共産党に代表され、その背後にはトカゲ・レプタリアンがいます。グローバリズムの価値観を広げて、IT(情報技術)によって、地球の人間牧場化を画策しようとしているのです。

 

現在、地球温暖化の広告塔兼工作員として活躍しているのが17歳のスウェーデンの環境活動家の「グレタ(グレタ・トゥーンベリ)」です。過去のワークでグレタからトカゲが解除されています。私を含めて多くの人たちが騙されていたと思います。そういう意味では、南方熊楠は、グレタの先輩のロスチャイルド工作員であり、裏では自然を封じる闇の仕事をして来たと感じます。(つづく)