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的屋(てきや)- Wikipedia》には、「的屋は、縁日や盛り場などの人通りの多いところで露店や興行を営む業者のこと」と記されていました。祭りや市や縁日などが催される、境内・参道・門前町において屋台や露店で出店して食品や玩具などを売る小売商や、射幸心を伴う遊技として射的などだといいます。

 

的屋の記述で驚いたのは、「職業神として元々は中華文明圏より伝わり、神道の神となった「神農の神」「神農黄帝」を祀り、独特の隠語を用いる者が多いため、狭い世界では神農(しんのう)とも呼ばれる」とあることでした。神農と言えば、世界的なパンデミックになっている新型コロナウイルスの起源とされる中国・武漢市です。

 

牛の赤目が置かれた暗闇の地》には、「炎帝神農(えんていしんのう)大殿」に光を降ろして「牛の赤目」のエネルギー体が統合されたワークの内容を記述しています。「牛の赤目」は、エゴの闇を放つエネルギー体で、「炎帝神農大殿」は、武漢市の人々の約80%が信仰している中国伝統信仰の施設です。

 

炎帝神農とは、神農や神農大帝と尊称されていて、医薬と農業を司る神とされます。この時のワークでは、神農は、「神農は闇の役割として創られた」と伝えられていました。エネルギー的に、神農を崇め信仰する的屋は、エゴの闇、金の闇を広げる役割であると感じます。神農という中国由来のエゴの闇を広げて暗闇にする仕組と言えます。

 

中国・武漢市から新型コロナウイルスが世界中に広まったことは、新型コロナウイルスがエゴの闇を浄化する役割であると感じています。的屋は「露天商や行商人」の一種であり、日本の伝統文化を地域と共有している存在でもあります。祭礼()や縁日に、寺社で露店や興行を営むことから寺社との繋がりが深く、寺社普請と呼ばれる相互扶助の一環でもあります。

 

寺社普請とは、寺社の造営、修繕や維持管理を目的としたもので、具体的には参道や境内、門前町において祭りや縁日を開催し、出店者から売り上げの一部を、場所代として提供してもらう事です。的屋のウィキペディアには、的屋と博徒(ばくと)の比較の記述もあります。博徒とは、賭博をもって業となす者です。

 

「的屋は神農とも呼ばれ、また的屋を稼業人、博徒を渡世人とも呼び別ける。生業とする縄張りも、的屋では「庭場」といい、博徒では「島」と表現する。的屋は職業神として神農を祀り博徒は職業神として天照大神を祀っている」とあります。《博徒 - Wikipedia》には、江戸時代から昭和にかけて結成された代表的な博徒系暴力団が記載されています。

 

暴力団ミニ講座》によると、親子盃の儀式の床の間に祭壇には、博徒系の場合は、右側から「八幡大菩薩」「天照皇大神」「春日大明神」の三軸が掲げられ、的屋系の場合は、「今上天皇」「天照皇大神」「神農皇帝」の3軸が掲げられるといいます。裏世界の暴力団にとっても神仏が重要視されていることが分かります。

 

神農 - Wikipedia》には、「日本で神農は「神農皇帝」の名称で、香具師・的屋業界では守護神・まもり本尊として崇敬されている。これは神農の時代に物々交換などの交易をする市場がはじめられたこと、また神農の子孫であるとされる融通王(ゆうずおう)が日本ではじめての露天商であるという伝説などが理由である」と記載されています。

 

融通王は弓月君(ゆづきのきみ)のことです。秦の始皇帝の後裔とされ、秦氏の先祖とされる渡来人です。融通王は、中国大陸から朝鮮半島を経由して日本に渡来しています。香具師、的屋、博徒などの裏世界に通じる職業が、中国、朝鮮半島の影響を色濃く受けていることが示唆されます。(つづく)