分裂前の暴力団・山口組との深い繋がりの歴史を持つ芸能会社が「吉本興業」です。吉本興業グループの持株会社が大阪市中央区と東京都新宿区に本部を置く吉本興業ホールディングス株式会社です。マネジメント、プロモーター、テレビ・ラジオ番組製作、演芸の興行などを行う企業グループです。
創業は1912年4月1日で、始まりは吉本吉兵衛・せい夫婦が大阪市北区天神橋にあった「第二文芸館」を買収し、寄席経営を始めたことでした。翌1913年1月には大阪市南区笠屋町(現・大阪市中央区東心斎橋)に吉本興行部が設立されました。
明治末期の創業以来100年以上にわたり、東西の多くの人気芸人を輩出してきたお笑い界・演芸界の名門とされます。テレビ番組制作、劇場、芸人養成スクールを手がけ、お笑い芸人のマネジメントでは圧倒的強さを誇るとされます。吉本興業と反社の繋がりは、2019年6月にカラテカの入江慎也をきっかけにした闇営業問題で表面化しました。
吉本興業のウィキペディアには、山口組との歴史は一切記述されていませんが、創業からの歴史を共有しています。《金の闇に侵された人間と集団》に記しましたが、吉本興業は、今から約100年前から山口組という反社会的集団と接点を持ちながら成長して来ました。
《天下を獲った吉本興業と山口組「100年の関係」》には、その詳細が記述されています。神戸港の港湾労働者を集めて組織した山口組に対して、吉本興業は、浪曲や漫才といった寄席を提供して来ました。そして、地方興行の際に、芸人を守るための集団としての山口組だったといいます。
このように反社と芸能は互助的な関わりを持って育まれて来たのです。《元吉本芸人「ヤクザと簡単に切れへんことはみんな知ってる」》には、坂田利夫との漫才コンビ「コメディNo.1」で人気を博した、元吉本のベテランで漫談家の前田五郎が、”芸能界と反社”について爆弾告発したことが書かれています。
吉本興業の経営陣は、「コンプライアンス」を盾にして、反社との繋がりを否定していますが、山口組との互助的関係があったことは史実だったと感じます。吉本興業のワークの対象として、創業者で、初代社長の吉本せいを選びました。吉本せい(1889年-1950年)は、兵庫県明石市生まれの吉本興業の創業者、芸能プロモーターです。
吉本せいの御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「ヤクザ」と伴侶が伝えて来ました。次に、吉本興業のトップの2人に光を降ろすと「乗っ取り屋。マフィア。喰うか食われるか」と伝えられました。吉本興業のトップの会長、社長は、ダウンタウンの元プロデューサーと元マネジャーです。
個人的な感覚では、吉本興業の実質的な黒幕は、ダウンタウンの松本人志と思っていました。過去のワークでは幾度か光を降ろしていました。今回は、全ての闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「目が光ったオバQのような宇宙人がいた」と伝えられました。
過去の幣立神社のワークでも同じ闇エネルギー体がいました。瑞穂年の神木に光を降ろした時に、「オバケのQ太郎みたいな白い姿をした目が光った宇宙人」が沢山でてきて統合されました。稲荷神の大元で、エゴの闇に関係するアヌンナキ系の宇宙人だと感じます。
知人のワークでも同じオバQが解除され、「人の物を盗む」「マネする」という所有のエゴの闇のエネルギーと分かっていました。山口組の初代組長・山口春吉は、淡路島(兵庫県淡路市)の漁師でした。吉本興業の創業者・吉本せいは、兵庫県明石市に生まれています。日本の裏世界、反社の源は、兵庫県神戸市周辺にあると感じています。
反社の原点は、渡来人に支配された先住民のサンカ、戦で敗れた武士である落ち武者、戦後に中国や朝鮮半島から渡って来た人たちなどの過去世を持つ人々が入り混じり、同和の闇の役割を担って来ました。日本の裏世界に光が入り、暗闇の時代に幕が下りることを願っています。(おわり)