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京セラとKDDI(旧・第二電電)の創業者の稲盛和夫は、松下幸之助を経営者として尊敬しているとされます。松下幸之助は、紀州和歌山の生まれであり、紀伊国屋文左衛門と深い縁があります。《同和の闇のエネルギーを覆う仕組》の過去のワークから松下幸之助は、同和の闇の役割だと分かっていました。

 

同和の闇とは、金の闇、エゴの闇でもあります。金を一番大事にし、経済重視の価値観を広めました。その証が「アメーバ経営」と呼ばれる稲盛和夫が考案した独特な経営管理手法です。アメーバ経営は、京セラ、およびKDDIなどで適用されています。

 

アメーバ経営とは、企業の人員を67人の小集団(アメーバ)に組織して、アメーバごとに「時間当たり採算=(売り上げ-経費労働時間」を算出し、時間当たり採算の最大化を図ります。時間当たり採算の目標値を設定して、目標達成を目指すやり方です。

 

時間当たり採算の目標値を月次、年次で策定して、労働時間短縮や売り上げ増加策を実行に移して目標達成を目指します。物差しを時間当たり採算とし、いかに効率的に金儲けするかを重視しています。小集団同士で競わせるという競争の要素もあるでしょう。

 

企業の価値を効率的な金儲けだけの尺度で判断することになります。金集めのための機械集団のような姿が目に見えます。売上や利益だけに重きを置く金の闇を広げるための経営管理だと感じます。また、ビジネスが多くの金を集めることを目的としているからこそ、アメーバ経営という経営管理手法が生まれたのだと思います。

 

稲盛和夫が生まれた鹿児島県鹿児島市薬師町は、古くは鹿児島城下で薬師馬場町でした。鹿児島城(鶴丸城)の城下町でもありました。中国北京に稲盛和夫管理顧問有限公司が設立されてことは、「神農」など中国の同和の闇を共鳴するところがあると感じます。

 

ウィキペディアには、「鹿児島県立大学工学部を卒業後、有機化学の教授の紹介でがいしメーカーの松風(しょうふう)工業に入社」と記されていました。松風工業の「松」が引っ掛かりました。ネットで松風工業を調べると《思い邪なし57 松風工業入社(一)》に行き着きました。

 

「松風工業という会社は京都の南の郊外(現在の長岡京市)にあった。明治三十九年(一九〇六年)、清水焼(きよみずやき)窯元の三代目松風(しょうふう)嘉定(かじょう)によって創業され、高圧碍子(がいし)を日本で初めて製造した名門企業である」とありました。

 

五龍閣カフェ(旧順正清水店 旧松風嘉定邸)》には、「松風嘉定は、明治3年10月に尾張(愛知県)瀬戸の陶工井上延年の長男として生まれています。1890(明治23)年に京都の製陶業松風家を継ぎ、松風工業、日本硬質陶器、松風陶歯製造(現松風)などの会社を経営した」

 

「高圧碍子(こうあつがいし)や磁器、人工歯の生産、輸出に務めました。この事業の中でもとりわけ、歯科材料メーカー「松風」(Shofu)は現在も日本最高峰の歯科材料メーカーとしてその名をとどろかせています」と記されていました。

 

松風工業の本社は京都市東山区福稲のJR奈良線の東福寺駅近隣、鴨川と琵琶湖疎水の流れとともに師団街道沿いにあり、南には有名な伏見稲荷大社があるといいます。松風工業から歯科に繋がるとは思いませんでした。

 

夢のキーワードから導かれた香具師という裏世界に通じる職業》にありますが、歯科は、歴史的に見ても、香具師(やし)の範疇に入ります。松風嘉定(1870-1928)の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「反社」と伴侶が伝えて来ました。(つづく)