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Wikipediaによると、森喜朗(1937-)は、石川県能美郡根上町(ねあがりまち:現・能美市)出身の日本の政治家で、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の前会長です。衆議院議員、内閣総理大臣、自由民主党幹事長、自由民主党総務会長、自由民主党総裁などを歴任しています。出身校は早稲田大学第二商学部です。

 

日本工業新聞従業員、衆議院議員今松治郎秘書の職にも就いています。201211月、衆議院が解散されたことにより失職し、代議士を引退しました。森喜朗元首相について、ウィキペディアを見ていくと、次のような特徴があります。一つ目が、祖父と父親の2人が長年の間、地元の根上町の首長を務めた政治家の家系に生まれていることです。

 

祖父・森喜平が根上村村長、根上町町長を1917年から約28年もの間務めており、父・森茂喜も1953年から9期連続無投票で当選し、根上町町長を約36年間務めています。父親の9期連続無投票当選は、自治体首長としての最多記録といいます。普通に考えると、1つの家の親子が約64年間も地元の首長の座に就くことはあり得ないと思います。

 

1人の人間が権力の座に長い間ついていると必ず腐敗します。森喜朗元首相の森家は、地元の利権を牛耳っていたことは容易に推測できます。二つ目は、岸信介元首相、安倍晋三元首相に非常に近い存在であることです。森喜朗元首相は、1969年の第32回衆議院議員総選挙に旧石川1区から立候補します。

 

当時の田中角栄自民党幹事長は森を「泡沫候補」と呼んで公認を与えませんでした。岸信介元首相の応援を受けて、下馬評を覆してトップで初当選します。その恩に報いる形で外孫の安倍晋三元首相が首相に就任したした際には、後見人として支えます。米国派である最大派閥・清和会の重鎮となります。

 

森喜朗の首相退陣後、政権は小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫へと受け継がれ清和会から四代続けて総理総裁が誕生します。小泉政権時代に清和会は平成研(橋本派)を抜いて最大派閥となり、森は事実上の清和会オーナーとして隠然たる求心力を保ち続けます。三つ目は、国会議員を引退した後も、財団法人など多数の各種法人・団体のトップに就いていることです。

 

公益財団法人日本ラグビーフットボール協会名誉会長、一般社団法人日本トップリーグ連携機構名誉会長、公益財団法人日本体育協会最高顧問、公益財団法人日本臨床心理士資格認定協会会長、 公益社団法人全国経理教育協会名誉会長、公益財団法人日印協会会長、日本水フォーラム会長、アジア・太平洋水フォーラム会長などです。

 

以上の3つの特徴から、まず、森喜朗元首相がトップに就いている各種法人・団体について調査とワークをしていくことにしました。上記の法人・団体で気になったのが、「日本水フォーラム」「アジア・太平洋水フォーラム」「日印協会」です。これまでのワークから、松果体収穫で利益を得る松利権は、最終的に「水」を封印することが分かっています。

 

日本水フォーラム (waterforum.jp)》には、「日本水フォーラムは、国内外の水関係者の交流連携窓口として、国内はもとより、 国連機関・国際機関、開発銀行、諸外国の政府・自治体、民間企業、研究者、NGOなどの多様な関係者と連携しています。 」

 

「そのネットワークのもと、日本を含めた世界の水問題解決のために行動を起こす機会を創出し、地球上のすべての人々が、水の恩恵と価値を最大限に享受できることを目指しています。 2003(平成15)年に開催された「第3回世界水フォーラム」(京都・滋賀・大阪琵琶湖・淀川流域)を契機に、その翌年に設立された団体です。」と記されています。

 

日本水フォーラムの評議員・役員の名簿を見ると、会長の森喜朗の1名の下に、副会長が5名、評議員27名、代表理事1名、副代表理事2名、理事13名、監事2名の合計51名の氏名が並んでいます。これ程多くの役員がなぜ必要なのか疑問です。政府、官僚、民間企業、大学機関、NGOなどの様々な領域の人たちを配置して密な網を張り巡らせている感じがします。(つづく)