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4日、数日前から左耳が火照るようになり、闇の解除のサインだと感じていました。感覚的に左耳は、日本列島における秋田県の男鹿半島辺りでした。ワークの流れからすると、湧水のある光の場所を封じるための松取りの場所かもしれないと感じました。「男鹿半島×湧水」でネット検索すると「滝の頭(たきのかしら)湧水」がヒットしました。

 

滝の頭湧水》によれば、「寒風山(標高355m)の北東麓に「滝の頭」と呼ばれる湧水群と清水を満々とたたえる沼がある。名水とは言っても、他の名水と大きく異なる点は、寒風山麓の総湧出量の7割・一日あたり約25千トンという膨大な湧水量にある。滝の頭湧水は、古くから農業用水や飲料水として利用されてきただけに、天からの授かりものとして崇められてきた。」と記されています。

 

掲載された画像には、コバルトブルーの湖沼、清純な水の流れ、森の中の木々の姿があり、とても大事な自然の場所だと感じます。「湧き口には、今木神社という不動尊が祀られ、三吉神、太平山碑などの石碑に囲まれ、天からの授かり物として、地域の人たちに崇められ、敬われてきた」と記されており、重要な光の場所が封印されていることを示唆しています。

 

滝の頭湧水をグーグルマップで調べると《滝の頭水源浄水場 - Google マップ》の地図に、「鍛冶屋台」「馬場台ノ沢」という松果体収穫に関連する地名もあります。また、《滝の頭湧水》には、この膨大な湧水に目をつけ、鳥居長根の開発と新しい村・渡部村の建設に着手したのが、秋田藩第一の開拓事業家と言われた渡部斧松であった」と記載されています。

 

渡部斧松(わたべおのまつ)居宅跡、渡部斧松を祀る渡部神社の画像も載っていました。「渡部斧松」という名前はヒントだと思いました。斧で松取りをしたことが容易に推察されます。《渡部斧松 - Wikipedia》によると、渡部斧松(1794-1856)は、江戸時代後期の老農、農業指導者、農業経営者です。

 

寒風山山麓の滝の頭湧水から水路を掘削した鳥居長根の開墾、渡部新村の経営をはじめとして、久保田藩の水利、開墾、救済、殖産等の各事業において、多大な功績を遺しました。農林水産省公式サイトにも、「新田開発と渡部斧松」と題して、事業着手以来18ヵ月にして約2キロメートルの水路が開通したことが書かれています。

 

285メートルにも及ぶトンネルをわずか半年で開通させたこと、6名の犠牲が出たことも記されています。恐らく、水路のトンネル掘りを利用して松取りをしていたと感じます。《善光寺との繋がりが暗示される巨大地下施設の松代大本営》にあるように、トンネルの掘削に動員された大勢の作業者に対して秘密裏に松果体収穫を行っていた可能性もあります。

 

今木神社の祭神は、不動明王であり、昔、修験者が修行をしていた場所だといいます。修験者の修行の場ということは、この地で古くから松取りが行われて来たことを意味します。今木神社、渡部神社に光を降ろすと「裏インド」「いいです」と伴侶が伝えて来ました。渡部斧松の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「本人は松をやっていた」と伝えられました。

 

滝の頭湧水が開かれるよう意図して光を降ろすと「頭をやっていた」と伝えられました。やはり渡部斧松は、斧で頭をやって松取りをしていたのです。寒風山(かんぷうざん)も気になりました。寒風山は、秋田県男鹿市にある標高355mの成層火山です。山頂には、九輪の石塔、五箇条の御誓文を石に刻んだ誓いの御柱、地震塚などがあります。

 

寒風山を封じる幾つもの楔の役割をしていると感じます。寒風山の闇の解除を意図して光を降ろすと「いいです」と伴侶が伝えて来ました。男鹿半島は、水の道であるエネルギーラインが通る重要な場所であり、それ故に大きな闇が置かれて来ました。寒風山と麓の滝の頭湧水の地が本来の光の場所となるよう願っています。