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ウィキペディアによると、ダライ・ラマ14(1935-)は、第14代ダライ・ラマ(在位:1940-)で、法名はテンジン・ギャツォです。1935年、アムド地方(現在の青海省)の農家に生まれ、幼名をラモ・トンドゥプといいました。4歳の時にダライ・ラマ14世として認定され、1940年に即位、1951年までチベットの君主の座に就いていましたが、1959年にインドへ亡命して政治難民となります。

 

現在は、インドのダラムサラに樹立された中央チベット行政府(現「チベット人民機構」・通称「チベット亡命政府」)においてチベットの国家元首を務めています。亡命後は、法的には領する国土をもたない亡命政権の長という地位にありながら、世界中に散らばるチベット民族に対して政教両面において指導的立場にある人物と目されています。

 

また、欧米でもチベット仏教に関心のある人や複数の著名人の支持を得て、ノーベル平和賞を受賞したことでその国際的影響力はさらなる広がりを見せており、中国は別として世界的にはチベットの政治と宗教を象徴する人物とみなされるようになりました。チベットは、私も過去世で深い縁がある地であり、201111月にチベットを訪れ、聖地チベットの旅として記録していました。

 

光を降ろす対象として、ポタラ宮、カイラス山、ダライ・ラマ14世を選びました。ポタラ宮は、歴代ダライ・ラマの居住と政治的執務や宗教的儀式を行う、チベットの中心地ラサのマルポリの丘の上の宮殿です。カイラス山はチベット高原西部に位置する標高6656mの独立峰で、仏教、チベット仏教、ボン教、ジャイナ教、ヒンズー教の聖地とされます。過去にポタラ宮、カイラス山のワークを行っていました。

 

ポタラ宮、カイラス山、ダライ・ラマ14世の順に光を降ろすと「いいです」「光は入りました」「松喰い。ペド。人喰い。金。エゴ。オバマ級」と伴侶が伝えて来ました。ダライ・ラマ14世のネット情報を調べると、《犀の角》には、やはり「ダライラマにペドフェリア(幼児性愛)疑惑?過去には麻原彰晃との関係も」という記事がありました。

 

ダライ・ラマ14世のチベット亡命政府の所在地は、ダラムサラです。ダラムサラは、インドのヒマーチャル・プラデーシュ州にある都市ダラムシャーラーの一角にあるチベット亡命社会の中心地です。亡命チベット人の多数が暮らす「マックロード・ガンジ」地区と、チベット亡命政府の官庁がたちならぶ「カンチェン・キション」地区からなります。

 

中国人民解放軍がチベットを軍事制圧したチベット動乱によって、19593月にラサを追われたダライラマ14世に対し、インド政府はダラムシャーラーの一角にあった避暑地「マックロード・ガンジ」の地を提供し、1960年に当地でチベット亡命政府が発足しました。グーグルマップのダラムサラの航空写真を観て、地下を意図して光を降ろすと「裏インド」と伝えられました。

 

日本にもチベット亡命政府の機関が「ダライ・ラマ法王日本代表部事務所」として置かれています。ダライ・ラマ法王日本代表部事務所は、ダライ・ラマ法王及びチベット亡命政権の正式な代表機関として、1976年に東京都新宿区西落合に開設されました。 代表は、アリア・ツェワン・ギャルポで、現在の管轄範囲は、日本を含む東アジア地域です。

 

ダライ・ラマ法王日本代表部事務所の代表と本部の地下に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「人買。日本のアドレノ工場は凄い」「ここは中継場所。問屋」と伴侶が伝えて来ました。ダライ・ラマとチベット亡命政府は、松利権ネットワークを構成しているようでした。日本には、世界の需要を賄うようなアドレノクロムの大規模工場が地下に点在していると感じています。

 

突然、伴侶が「あの店もそう」と9年程前に知人と一緒に訪れたカレーの店を伝えて来ました。そういえばチベット関連の装飾品などが置いてありました。その店に光を降ろすと「アドレノの売人」と伝えられました。表で弱者を装ったダライ・ラマとチベット亡命政府は、裏では松利権の実働部隊・受益者だったのです。チベット仏教の関連全てが闇の役割を終えることを願っています。(おわり)