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17日、伴侶が「帝国ホテルが気になる」と伝えて来ました。帝国ホテルは著名な老舗一流ホテルであり、東京の地下施設のこともあり、調査とワークを行うことにしました。ネット検索で目に留まった《てきとーブログ》には、「私が昔、パーティーコンパニオンのアルバイトをしていた時には、よく帝国ホテル、ニューオータニ、ホテルオークラなどに行って、政治団体や、経済団体のパーティーに花を添えたものだった。」

 

「ホテルを通って準備室に行くときには、普通のお客さんが通る表玄関から入るのではなく、裏口から従業員用裏通路を通って行ったのだった。そして、その裏通路は迷路のようになっており、その迷路は地下にも続いているのだった。私はその迷路で何回も迷子になりそうになった。怪しげな入り口もあり、今考えると、それは爬虫類人レプティリアン秘密地下基地に通じる迷路だったのだ。」と記されていました。

 

やはり、帝国ホテルには地下施設に繋がる通路があるようです。《霞が関ビルの前身である霞会館と結びつく隠されてきた東京の地下施設》にありますが、霞会館や霞が関ビルも地下施設に関係します。帝国ホテルは、東京都千代田区内幸町にある、株式会社帝国ホテルが運営するホテルです。日本を代表する高級ホテルのひとつであり、ホテルオークラ、ニューオータニとともに「(ホテル)御三家」と呼ばれます。

 

1886(明治19)に東京の官庁集中計画が練られた際に、外国人の接遇所を兼ねた国を代表する大型ホテルの設計が組み込まれ、帝国ホテルが1890(明治23)11月に落成、開業しました。隣接する鹿鳴館と密接な関連を持ったホテルとして井上馨が渋沢栄一と大倉喜八郎の2人を説いて、1888(明治21)に有限責任帝国ホテル会社を設立させ建設しました。

 

帝国ホテルは、東京の他に、大阪、上高地にあり、現在は三井不動産が株式会社帝国ホテルの株式の約33%を保有する筆頭株主となっています。鹿鳴館は、1883(明治16)に、日本の外務卿井上馨による欧化政策の一環として建設された西洋館です。国賓や外国の外交官を接待するため、外国との社交場として使用されました。渋沢栄一の関与から松利権に関係していることが分かります。

 

鹿鳴館を中心にした外交政策を「鹿鳴館外交」、欧化主義が広まった明治10年代後半を「鹿鳴館時代」と呼びます。欧米諸国との間の不平等条約を改正する狙いがありましたが、1887(明治20)に条約改正の失敗で井上が辞職したことで鹿鳴館時代も終わりを告げ、1890(明治23)からは華族会館として使用されるようになり、1941(昭和16)に取り壊されました。

 

鹿鳴館は、パソナの迎賓館・仁風林の源流だと感じます。鹿鳴館の創設者・井上馨(1836-1915)は、日本の武士(長州藩士)、政治家、実業家です。本姓は源氏です。清和源氏の一家系河内源氏の流れを汲む安芸国人毛利氏家臣・井上氏の出身で、先祖は毛利元就の宿老である井上就在とされます。1904年に日露戦争が勃発すると戦費調達に奔走して国債を集めました。

 

足りない分は外債を募集、日本銀行副総裁・高橋是清を通してユダヤ人投資家のジェイコブ・シフから外債を獲得しました。井上馨の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「工作員」と伴侶が伝えて来ました。ジェイコブ・シフは、ロスチャイルドの米国総支配人ですので、井上馨が工作員であることは理解できます。帝国ホテルの設計・建築には、これまでに3人の建築家と1社の建築設計会社が携わって来ました。

 

渡辺譲(1855-1930)は、明治時代の建築家で、創業時(初代)の帝国ホテルの設計者としても知られます。帝国ホテルのロイド館を設計したフランク・ロイド・ライト(1867-1959)は、アメリカの建築家で、アメリカ大陸で多くの建築作品があり、日本にもいくつか作品を残しています。ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエと共に「近代建築の三大巨匠」と呼ばれます。

 

第一新館(別館)、第二新館(東館)、新本館を設計した高橋貞太郎(1892-1970)は、大正・昭和期に活躍した日本の建築家です。前田侯爵邸や服部邸など豪華な邸宅建築のほか、上高地ホテル、川奈ホテルなどホテル建築に秀作が多いです。渡辺譲、フランク・ロイド・ライト、高橋貞太郎に、それぞれ御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「半島」「松施設が得意の専門家」「トカゲ」と伝えられました。

 

地上31階、地下4階、客室数361のインペリアルタワー(現帝国ホテルタワー)を設計したのは山下設計です。山下設計は、1928(昭和3)創立の組織系建築設計事務所です。創設者は山下寿郎で、東京都中央区に本社を置きます。霞が関ビルディングや、NHK放送センターなど数多くの建築設計を行なっています。山下設計の創業者と社長の藤田秀夫に光を降ろしました。

 

「松喰い」「松喰い」と伴侶が伝えて来ました。帝国ホテル社長の定保英弥は、日本の実業家で、日本ホテル協会副会長です。帝国ホテルの社長と帝国ホテルの地下を意図して光を降ろすと「中国系貴族反社」「地下と地上をつなげている所。他にもいくつかある」と伝えられました。松果体収穫のための東京地下要塞という日本の暗闇の中心に光が入ることを願っています。