1200px-Touro_rake


3
31日、朝起きると伴侶が「釧路の夢を見た」と話して来ました。釧路の名前は「クスリ」から来ていることは知っていました。釧路には釧路湿原など水の場所があり、「松」や「薬」の闇が置かれて、水という光の地が封じられていると感じていました。釧路の地の闇の解除・統合のワークを行うためにネット情報を収集していきました。釧路市は、北海道東部(道東地方)の太平洋沿岸にある市です。

 

道東地方を管轄する国や道の出先機関のほか、外国公館 国際機関の置かれている道東の政治の中心都市です。国際バルク戦略港湾(穀物)に選定された釧路港を持ち、製紙工場や食料品工場、医薬品製造工場、発電所などを擁する臨海工業都市です。また、観光客が来る釧路空港と、釧路湿原国立公園および阿寒摩周国立公園の2つの国立公園を市域に有します。

 

名前の由来は、ここのアイヌを松前藩が今の釧路に移し、「クッチャロ」からクスリ場所と称したためとされます。1600年代、松前藩によりクスリ(クシュリ、久寿里)場所が置かれました。国際バルク戦略港湾とは、日本におけるばら積み貨物の輸入拠点として、安定的かつ安価な輸入の実現に資する大型船に対応した港湾機能の整備等を実施する港湾として国土交通大臣が指定するものです。

 

日本の国際バルク戦略港湾(穀物) に指定されているのは、鹿島港、志布志港、名古屋港(清水港・田子の浦港)、水島港、釧路港です。鹿児島県の志布志港が入っているのがポイントです。《ボアオ・アジア・フォーラムが開催される中国・海南島に潜む深い闇》にありますが、志布志港は、船舶にて中国・海南島へ運ぶ、子供たちの人身売買ルートの中継地になっているようです。

 

スエズ運河座礁コンテナ船の所有会社・正栄汽船が引継ぐ村上水軍の闇》で記した、大型コンテナ船「エバーギブン」は、志布志港にも立ち寄るというネット情報もあります。国際バルク戦略港湾(穀物)に指定されている釧路港も松果体利権の関係地になっている可能性が高いと見ています。釧路市のウィキペディアから幾つかのワーク対象を拾い出しました。まず、「安田財閥」です。

 

釧路は、1897(明治30)に安田炭鉱が開坑しています。安田炭鉱で石炭採掘を開始したのは安田財閥でした。安田財閥は、富山県出身の安田善次郎が設立した財閥で、日本の四大財閥(三井・三菱・住友・安田)の一つです。金融部門の絶対的な優位性を持つことから「金融財閥」とも呼ばれる。安田財閥の金融資本は他の財閥の追随を許さず、日本で最大の規模を誇っていました。

 

20歳で奉公人として江戸に出た安田善次郎が、26歳の1866年に両替専業の安田商店を日本橋小舟町に開業し、幕府の御用両替を軸に巨利を得ることになります。安田財閥設立者の初代・安田善次郎(1838-1921)の画像を見ると昔の上司に似ていると感じました。初代・安田善次郎の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「松喰い。松工作員」と伴侶が伝えて来ました。

 

これまでのワークから昔の炭鉱や鉱山では秘密裏に松取りが行われていたと感じています。釧路市長から国会議員になった人物が3名おり、何らかの大きな利権が釧路にはあると感じます。山口哲夫(1928-2020年:元釧路市長、元参議院議員、新社会党元書記長)、鰐淵俊之(1936-2005年:元釧路市長、元衆議院議員)、伊東良孝(1948-:衆議院議員、自由民主党、元釧路市長)です。

 

自民党二階派の伊東良孝・衆議院議員は、中川一郎の後援会青年部で活躍し、中川の筆頭秘書であった同い年の鈴木宗男とも親しかったといいます。現釧路市長の蝦名大也(えびなひろや:1959-)は、北海道釧路市出身で、青山学院大学在学中に中川一郎衆議院議員の秘書となります。中川の急死後に大学を中退し、中川の筆頭秘書であった鈴木宗男釧路事務所長となります。

 

伊東良孝、蝦名大也とも故中川一郎の深い縁があります。釧路が地盤であった中川一郎と息子の中川昭一は、利権絡みで消されたと感じています。それほど釧路の利権は大きいのだと思います。伊東良孝、蝦名大也に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「トカゲ」「バイデン派」と伝えられました。やはり釧路の地には、松果体利権の闇が潜んでいると感じます。(つづく)