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28日、朝食後に、やや右側の上唇の裏側に小さな口内炎ができているようで、少し痛みました。ワークのサインでした。やや右側の上唇の場所は、どこかと思案して、日本地図で観ると福島県二本松市だと感じました。最近は福島県の闇の解除・統合のワークが多く、過去世で深く関係していると思いました。二本松市は、福島県中通りの北部に位置する市です。

 

「智恵子抄」に詠われた安達太良山と阿武隈川で知られます。福島県を代表する城下町のひとつに数えられ、多くの観光資源を有します。二本松市は、地名に「松」がつくので、古くから松取りが行われて来た場所だと推察できます。それだけ水や自然の光が溢れる重要な場所です。二本松城は、福島県内の若松城、白河小峰城と共に、日本100名城にも選定されています。

 

二本松城は二本松市街地の北に位置し、麓の居館と、標高345mの「白旗が峰」に築かれた城郭からなる梯郭式の平山城です。江戸時代は二本松藩主丹羽氏の居城となりました。1868(慶応4)の戊辰戦争に際し、二本松藩は奥羽越列藩同盟に参加して新政府軍と戦いました。新政府軍が二本松城下に殺到し、僅か1日の戦闘において落城しました。

 

手薄になった攻城戦においては「二本松少年隊」と呼ばれる少年兵も動員されました。藩主の丹羽長国は米沢に逃亡し、9月に降伏、石高を半減され藩が存続しました。この攻城戦において城の建物の多くが焼失しました。ワークの対象は、「二本松少年隊」と思いました。《松取りのための戊辰戦争という真実を闇で覆ったロスチャイルド》から戊辰戦争そのものが、資金稼ぎという松取りのための戦いでした。

 

戊辰戦争には、フランス軍事顧問団が参加していました。徳川幕府は資金、武器を交換に会津の地の松利権をロスチャイルドに渡したのです。「二本松少年隊」は「白虎隊」と同様に悲劇の美談によって真実が隠蔽されたと感じます。二本松少年隊とは、幕末の二本松藩において戊辰戦争に出陣した12歳から17歳の少年兵部隊のことで、幕府側で戦いました。

 

ただし、会津藩の白虎隊と違い当時は隊名がなく、二本松少年隊と名づけられたのは戊辰戦没者五十回忌に刊行された「二本松戊辰少年隊記」からです。戊辰戦争への出陣は14歳未満では不可能ですが、二本松藩には危急の際には年齢を2歳加算する入れ年(実年齢より高い年齢として出兵の許可を出す)という独自の制度があり、最少年齢の隊士の年齢は12歳となりました。

 

八番組組頭・丹羽右近率いる大壇口守備隊の大砲方銃士隊として編成されていた木村銃太郎指揮下の25名が特に有名です。大壇口での戦いにおいて木村をはじめその多くが戦死しました。負傷して、新政府側の野戦病院として使用されていた称念寺(しょうねんじ)に運ばれた者もいましたが、やがては息絶えてしまいました。これらの出来事は、戊辰戦争における悲劇のひとつとして知られています。

 

木村銃太郎(当時22歳:1847-1868)は、幕末の二本松藩士、四人扶持広間番・砲術師範です。二本松藩武衛流砲術師範・木村貫治とせんの子に生まれ、幼少より砲術を学び、1516歳では競射で優勝するなど頭角を現します。二本松藩主・丹羽氏の菩提寺でもある大隣寺に戦死者16名の墓所があり、二本松城跡である霞ヶ城公園には群像彫刻や顕彰碑が立っています。

 

木村銃太郎の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「いいです。可哀想な人」と伴侶が伝えて来ました。留まっている御魂が光に還るよう二本松少年隊慰霊碑に光を降ろすと「可哀想。松を取られたと思う」と伝えられました。称念寺(浄土宗)に光を降ろすと「いいです」と伝えられました。新政府側の野戦病院として使用されていた称念寺で松取りが行われたと思います。

 

二本松市の松取りの闇を引継いでいる医療施設があると感じて調べると「枡(ます)病院」が候補に入りました。グーグルマップで調べると枡病院は、称念寺の隣でした。枡病院の院長と建物に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「ガースータイプ」「いいです」と伴侶が伝えて来ました。菅首相と同じ松取りの現場作業員というサンカの過去世を持っているようでした。

 

「智恵子抄」の作者の高村光太郎、安達太良山と阿武隈川も気になりました。高村光太郎(1883-1956)は、東京都台東区出身の詩人・歌人・彫刻家・画家です。「道程」「智恵子抄」などの詩集が著名で、教科書にも多く作品が掲載されており、日本文学史上、近現代を代表する詩人として位置づけられます。与謝野鉄幹と交流があり、欧米に遊学しており、工作員と感じました。

 

高村光太郎の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「工作員」と伝えられました。阿武隈川の水源の福島県旭岳(標高1829m)と阿武隈川、また安達太良山(標高1728m)に光を降ろすと「OKです」と伝えられました。二本松少年隊の美談としての歌が12曲もあり、看板に利用されていると感じます。エゴの闇に覆われた二本松の地が本来の輝く姿に戻ることを願っています。