1200px-ぎんりん橋から見た帯広川_-_panoramio


北海道帯広市のばんえい競馬での馬の虐待場面の動画ニュースを観ました。418日に起きた《騎手が馬の顔を蹴り処分 ばんえい競馬能力検査で(テレ朝NEWS)》と《厩務員が馬の顔を蹴り戒告処分 北海道ばんえい競馬(FNNプライムオンライン)》です。厩務員(きゅうむいん)とは、調教師の指示の元で担当する競走馬の身の回りの世話を行う人のことです。

 

どちらの映像も観るに堪えない酷い虐待であり、日常的に行われていると感じます。そもそも、普通の競馬自体も騎手が馬を鞭打っているので、当然、虐待だと思います。ばんえい競馬の場合は、馬に450kgもの鉄製そりを曳かせて、その速さを競わせているので、尋常ではないです。

 

競馬は、人間が金儲けというエゴを満たすために行われている賭博です。人間のエゴのために馬が虐待されて来た歴史があります。人間と馬の歴史を振返ると、農耕馬や軍馬を思い出します。野生の馬を飼いならして、人間が役に立つように利用して来ました。戦国時代の戦には馬がつきものです。神社には、神が乗るとされる神馬が奉献されます。

 

過去のワークから、古くから日本では、表では馬を使役しながら、裏では松果体採取をしていたと感じます。松取りという金儲けのために馬を犠牲にして来たのです。ばんえい競馬のワークのためにネットで調べていきました。ウィキペディアには、「ばんえい競走とは、競走馬がそりをひきながら力や速さなどを争う競馬の競走である。

 

現在、日本国内の公営競技(地方競馬)としては北海道帯広市が主催する「ばんえい競馬(ばんえい十勝)」のみが行われており、世界的にみても唯一となる形態の競馬である」とあります。ばんえい競馬の歴史については、「ばんえい競馬の起源は木材を運び出していた馬の力比べとされており、北海道開拓期より各地で余興や催事として行われていた。

 

当初は2頭の馬に丸太を結びつけ、互いに引っ張りあっていたという。確認できる最古の競走は1915(大正4)916日に函館区外で十郡畜産共進会の余興として行われた「挽馬実力競争」である。その後も大正時代末期に亀田八幡宮(渡島国亀田郡亀田村)の境内や五稜郭公園の敷地内で行われたのをはじめ、全道各地で同様の競走が行われていた。」と記されています。

 

ばんえい競馬は、北海道開拓と同様に、北海道の光の地を封印するため置かれた大きな闇だと感じます。ばんえい競馬のワークの対象に、開催執務委員長で帯広市農政部の佐藤徹也参事と一般社団法人ばんえい競馬馬主協会の代表理事会長・松浦正を選びました。

 

2人にそれぞれ、闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「ドルイド。術。私が首切りにした人かもしれない」「さっきの人に仕えている人。ドルイド系」と伴侶が伝えて来ました。伴侶は十勝の帯広に生まれており、ドルイドの過去世があります。ばんえい競馬を含めた十勝を封じる闇に縁があるようでした。

 

ケルト十字の石碑が示唆するドルイドの闇に通じる丸十字の島津氏》にありますが、ドルイドは、フリーメイソン、ロスチャイルドの源流であり、表世界から裏世界に回った強い霊力を有する闇のエネルギー体で、プレアデスのワニの宇宙人に通じると感じます。《表の米国の闇と裏の欧州の闇》における裏の欧州の闇です。

 

十勝の地は、自然豊かな水の場所で大きな光の地である故に、キリスト教の隠された闇が置かれ封じられて来ました。20196月の十勝巡礼の旅では、十勝監獄で囚人やアイヌの人たちの松果体収穫が行われ、煉瓦造りで証拠を隠蔽していたことが分かっています。

 

十勝については他にも遠隔ワークを幾度か行っており、殆どやり尽くしたと思っていましたが、そうではありませんでした。4月の光の講座で出てきた「音更(おとふけ)神社」が気になっていました。「音更」については、過去に知人が教室を開いていた場所でもあり、調べていくことにしました。(つづく)