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大谷貴義のウィキペディアには、「元首相の田中角栄や、国際興業創業者の小佐野賢治、そごう元会長の水島廣雄らと懇意にするのみならず、戦後最大のフィクサー児玉誉士夫、山口組3代目組長田岡一雄、東声会(現・東亜会)会長町井久之ら、アンダーグラウンドの世界にも顔が利いた。許永中は若い頃に大谷のボディーガード兼運転手をしながら、フィクサー業の修行をした。

 

後に、「大谷先生の下で働き、大人の恐ろしい世界を知った」と述べている」と記されています。許永中は、イトマン事件で有罪になった在日韓国人の実業家です。イトマン事件は、3000億円超す資金が暴力団関係者などに消えた戦後最大級の事件です。許永中は、こうした経済事件に関与し「闇の紳士」「フィクサー」と呼ばれ、裏世界の反社の力を基に表世界で影響力を有した人物です。

 

大谷貴義は、福田赳夫だけでなく、田中角栄にも通じており、2大勢力を戦わせて利益を得る同和の工作員と言えます。また、「作家の吉川英治のすすめにより、長女の享子(1957年度ミス・ユニバース日本代表)が、裏千家14世千宗室の三男・巳津彦と結婚。媒酌人は、吉川夫妻と福田夫妻が勤めた」と記されていました。吉川英治(1892-1962)は、「宮本武蔵」などで有名な作家です。

 

現在の神奈川県横浜市中区出身で、様々な職についたのち作家活動に入り、「鳴門秘帖」などで人気作家となります。1935(昭和10)より連載が始まった「宮本武蔵」は多くの読者を獲得し、大衆小説の代表的な作品となりました。戦後は「新・平家物語」、「私本太平記」などの大作を執筆し、幅広い読者層に親しまれ「国民文学作家」と呼ばれました。

 

大谷貴義が創業者である「株式会社日美」は、東京都港区新橋に本社を置く、宝石・貴金属製品、付属製品製造売買の会社です。現在の社長は、大谷貴義の裏千家に嫁いだ娘の息子である大谷裕巳です。元総理・福田赳夫、大谷貴義、大谷裕巳、吉川英治に光を降ろすと「半島」「いいです」「トカゲ」「工作員。中国。二重スパイの可能性もある」と伴侶が伝えて来ました。

 

福田赳夫は、安倍晋三と同様に朝鮮半島の過去世があると感じます。吉川英治は、大谷貴義と同じ、戦わせて利益を得る同和のスパイと見ています。《純粋な闇を広げる工作員》にありますが、石川啄木、夏目漱石、与謝野晶子、宮沢賢治、司馬遼太郎など著名作家に工作員は多いです。いずれにしても、全ては松利権の支配拡大という金儲けのための工作員です。

 

大谷貴義の関係で気になっていたのが「裏千家」です。裏千家は、茶道流派の一つです。茶道諸流派中最大の流派の一つとされます。裏千家の名称は、千利休からの家督を継いだ本家の表千家(不審菴)に対し、今日庵が通りからみて裏にあるという意味です。宗家は京都市上京区小川寺之内上ルにあり、表千家宗家と隣接しています。その茶室・今日庵(こんにちあん)は裏千家の代名詞でもあります。

 

「千家」といえば本来、本家の表千家のことでしたが、裏千家の活躍もあり、近年になって分家である武者小路千家と併せて「三千家」というようになりました。裏千家の家祖は千利休です。千利休(1522-1591)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての商人、茶人です。子孫は茶道の三千家として続いています。千利休は天下人・豊臣秀吉の側近という一面もありました。

 

豊臣秀吉が旧主・織田信長から継承した「御茶湯御政道」のなかで多くの大名にも影響力を持ちましたが、やがて秀吉との関係に不和が生じ、最後は切腹へと追い込まれました。裏千家家元は、千宗室です。ウィキペディアによると千宗室(1956-)は「茶道裏千家家元16代玄黙宗室で斎号は坐忘斎。本名政之。若宗匠時代は宗之。裏千家の家元は代々『宗室』を襲名する。

 

同志社大学文学部心理学科卒業。大徳寺にて参禅得度。斎号坐忘斎を授く。2003年家元となり宗室襲名。文筆家として知られ、随筆集を多数著している。2019年春、紫綬褒章受章。  京都造形芸術大学教授、学習院女子大学客員教授。日本ペンクラブ会員」と記載されています。千利休、千宗室に光を降ろすと「戦国時代のフィクサー。権力者を操っていた」「ハブ」と伝えられました。

 

千利休は、織田信長や豊臣秀吉などの天下人を動かすことができる工作員だったと思います。やはり松取りに関わる工作員です。表世界で茶人の看板を掲げて、裏世界にも通じていたと感じます。目に見える形を重要視する故に、真実を隠せる世界です。茶道は、仏教はもとより、茶器や和菓子を通じて多様な世界にも繋がるハブとなります。工作によって隠された闇に光が入ることを願っています。(おわり)