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南フランスのピレネー山脈の山麓にあるルルドの泉は、その奇跡にあやかりその後世界各地でこのルルドを模倣し、聖母マリア像を収めた「ルルド」が造られるようになりました。日本の最初の「ルルド」は、五島列島司牧の責任者ペルー神父の呼びかけによって長崎県南松浦郡玉之浦町(現五島市)の井持浦(いもちうら)教会に作られました。

 

井持浦教会の敷地内に信者たちの手によって持ち込まれた石を積み上げ、1899(明治32)にルルドの洞窟が造られました。グーグルマップでフランスのルルドの泉の画像を観ると外見が立派な聖地であることが分かります。フランスのルルドの泉に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「青い光が出てきた」と伴侶が伝えて来ました。

 

青い光は純粋な光を意味します。本来、泉が湧き出る場所であり、シリウスの光が置かれた場所だったと感じます。グーグルマップで五島列島の井持浦教会のルルドの画像を観ながら光を降ろすと「ここは飾りの可能性がある」と伝えられました。実際に、松果体収穫が行われていない飾りとしてのルルドのようでした。

 

長崎市本河内のカトリック本河内教会のルルドがある「彦山」が気になりました。ネット情報によると「長崎市の中心部にある「彦山」は標高386メートル。福岡県と大分県にまたがる英彦山(ひこさん)にあやかって名付けられたそうです」とありました。長崎の彦山には、巨石の磐座が多く存在するようで、大事な場所だと感じました。

 

本家の「英彦山」は、福岡県田川郡添田町と大分県中津市山国町にまたがる標高1,199mの山です。北岳・中岳・南岳の3つの峰があり、最高点は南岳(1,199m)にあります。山の中腹720m近辺に英彦山神宮奉幣殿があり、多くの参拝客が訪れます。英彦山は羽黒山(山形県)・熊野大峰山(奈良県)とともに「日本三大修験山」に数えられます。

 

山伏の坊舎跡など往時をしのぶ史跡が残ります。山伏の修験道場として古くから武芸の鍛錬に力を入れ、最盛期には数千名の僧兵を擁し、大名に匹敵する兵力を保持していたといいます。山伏集落についての詳細は不明でしたが、2015(平成27)、添田町が行ったレーザー測量によって集落跡地とみられる場所が複数個所、確認されました。

 

「英彦山三千八百坊」と言われていましたが、測量結果から800箇所・三千人規模の集落があったと推測されるといいます。彦山豊前坊という天狗が住むという伝承があります。豊前坊大天狗は九州の天狗の頭領であり、信仰心篤い者を助け、不心得者には罰を下すと言われています。また、古くからの修験道の霊地で、全盛期には多くの山伏が修行に明け暮れました。

 

松取りの工作員をしていた天狗が光に還る》のセッションでは、天狗は松取り工作員として働いていたと伝えられていました。また、修験道には天狗がつきものです。山伏という修験道の行者は、山を修行場として心身を鍛錬して霊力を身につけていたと思われますが、実は、その裏では、松取り工作員としての現場作業員だったと感じます。

 

福岡 英彦山に住む山伏という隠密集団の影 ~巡礼の旅(593)~》にありますが、英彦山は、山伏、サンカと呼ばれる隠密集団の拠点だったのです。表は修験者で、裏は松取り工作員として働いていたのです。長崎の彦山にルルドがあったことから、キリスト教×英彦山で検索すると「細川忠興(ほそかわただおき)」に行き着きました。

 

細川ガラシャと英彦山》には、「大友宗麟によって焼き討ちにあった霊仙寺講堂(現在の英彦山神宮奉幣殿)を細川忠興公が再建したのは、妻・ガラシャの十七回忌に当たる1616年のこと」とありました。細川忠興(1563-1646)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、大名で、丹後国宮津城主を経て、豊前国小倉藩初代藩主、肥後細川家初代です。

 

正室は明智光秀の娘・玉子(通称・細川ガラシャ)です。茶人・細川三斎としても有名で、利休七哲の一人に数えられ、茶道の流派三斎流の開祖です。細川忠興は、茶人であり、妻がクリスチャンのガラシャであることからイエズス会に通じた工作員だったと感じます。英彦山の松工作員のサンカ集団を裏で動かしていたと見ています。

 

細川忠興の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「トカゲ。宇宙人」と伴侶が伝えて来ました。細川忠興を調べている時に、左腕と左わき腹に痛みがあったので自分と関係していたと感じました。自分に光を降ろすと「過去世かもしれない」と伝えられました。自分がエネルギー体としてサポートしていた可能性も感じます。過去、北九州の小倉に出張セッションで幾度か足を運びました。

 

20172月には、巡礼の旅で英彦山にも訪れていました。細川忠興は松果体収穫の裏工作のキーでした。細川忠興から、利休七哲などの茶人、キリシタン大名、寺院に繋がります。長崎のルルドは、キリスト教と仏教が裏で繋がっていることが示唆され、さらに探求する必要性を感じます。いずれにしても、ルルドという隠された闇が終わり、真実の光が広がっていくことを願っています。(おわり)