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ロシア連邦大統領のウラジーミル・プーチンに焦点を当てることにしました。プーチン(1952-)は、ロシア連邦の政治家で、同国第4代大統領(在任: 201257 - 現職)、第24代安全保障会議議長を務めています。1952107日 レニングラード(サンクトペテルブルク)に誕生します。1975年 レニングラード大学法学部を卒業し、ソビエト連邦国家保安委員会(KGB)に勤務します。

 

父はウラジーミル・スピリドノヴィチ・プーチンで、母は、マリア・イワーノヴナ・シェロモーワです。父は活動に熱心なソ連共産党党員の無神論者で、母は工場などで働いていた信仰心が深いロシア正教徒でした。ウィキペディアの内容を読んで、プーチン関連のワーク対象として「KGB(ソ連国家保安委員会)」と「ロシア正教会」を選びました。KGBはソ連の諜報機関であり、プーチンのバックボーンになっています。

 

KGB(ソ連国家保安委員会)は、1954年からソビエト連邦の崩壊(1991)まで存在したソビエト社会主義共和国連邦の情報機関・秘密警察です。軍の監視や国境警備も担当していました。東西冷戦時代にはアメリカの中央情報局(CIA)と一、二を争う組織と言われていましたが、ソビエト連邦の崩壊と同時に共和国間保安庁(現・ロシア連邦保安庁)、中央情報庁(現・ロシア対外情報庁)、連邦国境庁(現・ロシア国境軍)などに権限を移行しました。

 

KGBの任務は、「資本主義諸国における諜報業務」「スパイ、破壊工作、テロその他の破壊活動対策」「反ソ及び民族分子の敵対活動対策」「ソ連軍各組織における防諜業務」「特殊施設、特別重要産業施設及び輸送機関における防諜業務 国境警備」「党及び政府の指導者の警護」「政府通信の組織及び保障 ・無線防諜業務の組織」から成ります。

 

ロシア革命直後、レーニンの命を受けたフェリックス・ジェルジンスキーが「反革命・テロ・サボタージュ取り締まりのための全ロシア非常委員会」(「チェーカー」)を創立します。本部はルビヤンカ広場の全ロシア保険会社ビルに置かれました。ソ連崩壊(12)直前の19918月までジェルジンスキーの大きな銅像が正面に建てられていました。KGBの初代議長は、イワン・セーロフ(1905-1990年)です。

 

ロシア連邦において現存する後継機関としては、「ロシア連邦保安庁 (FSB)-防諜・犯罪捜査」「ロシア対外情報庁(SVR)-対外諜報」「ロシア連邦警護庁(FSO)-要人警護」「ロシア連邦大統領特殊プログラム総局(GUSP)-地下シェルター等特殊施設の建設・運営」 があります。尚、528日、宗谷岬沖で稚内の「第172榮寳丸」を拿捕したロシア国境警備隊は、現在はロシア連邦保安庁の所属です。

 

KGBの前身であるチェーカー設立者のフェリックス・ジェルジンスキー(1877-1926年)とKGB初代議長のイワン・セーロフ(1905-1990年)に御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「任侠(にんきょう)」「普通」と伴侶が伝えて来ました。「任侠」とは、仁義を重んじ、困っていたり苦しんでいたりする人を見ると放っておけず、彼らを助けるために体を張る自己犠牲的精神や人の性質を指す言葉です。

 

ソ連の初期のKGBは純粋な闇の役割だったと感じます。ロシア連邦保安庁(FSB)現長官のアレクサンドル・ボルトニコフ(1951-)、ロシア対外情報庁(SVR)現長官のセルゲイ・ナルイシキン(1954-)、ロシア連邦警護庁(FSO)現長官のドミトリー・コッホネフ(1964-)、ロシア連邦大統領特殊プログラム総局(GUSP)現総局長のリネッツ・アレクサンダー(1963-)にそれぞれ光を降ろしました。

 

「イルミナティ(DS)」「宇宙人。プーチンの子分」「DS」「いいんじゃない」と伝えられました。どうやらKGB4つの後継機関は、半分が闇のDS(ディープステート)側で、半分が光のQ側になっていると感じます。イルミナティは、闇の仕事をする半身半獣、昆虫型、レプタリアンなど様々な姿の宇宙人の集団です。《イルミナティの撤退 (前編)》には、20152月のイルミナティとの対峙を記しています。

 

イルミナティの集団が北極点に集合して光に還って行きましたが、まだイルミナティの残党がいて、DSとして闇の仕事を続けています。ロシア連邦保安庁のトップがDS側の人物であることから、ロシア国境警備隊もDSです。米国と同様に、ロシアでもQDSがせめぎ合っており、Qの動きとして紋別沖の漁船衝突事故であり、それに対するDSの動きとして宗谷岬沖のロシア拿捕事件だったと感じます。(つづく)