中島飛行機の創業者・中島知久平は、1945年(昭和20年)8月の終戦直後、東久邇宮内閣で軍需大臣および商工大臣として敗戦処理にあたり、その後の12月にGHQよりA級戦犯に指定されまし。しかし、病気を理由に中島飛行機三鷹研究所内の泰山荘(現在の国際基督教大学敷地内)にて自宅 ...
光の封印の役割としての中島飛行機地下工場跡とぐんまこどもの国
10月25日、ICUの調査から中島飛行機を知り、関東、東海地方に多くの地下壕を作っていたことが分かりました。中島飛行機は、1917年(大正6年)から1945年(昭和20年)まで存在した日本の航空機・航空エンジンメーカーです。創業者は元海軍機関大尉の中島知久平で、通称は中島(な ...
平安京の里内裏であった京都御所に存在する謎の地下室
大日本帝国軍の最高統帥機関の大本営は、日清戦争において初めて設置されました。大本営は1894年6月5日に東京の参謀本部内に設置され、同年8月5日に皇居内に移りました。同年9月13日に広島に移り、9月15日に明治天皇が広島大本営に入っています。 1895年4月27日に大本営 ...
松代大本営の一部建物が仏教会に譲渡され設立された戦災孤児収容施設
松代大本営のある長野県埴科郡松代町の「松代町」と「松代藩」についてウィキペディアで調べていきました。松代町は、かつて長野県埴科郡に存在した町で、現在は、長野市松代地区となっています。江戸時代には松代藩の城下町で、明治期には製糸業が盛んでした。 松代藩 ...
善光寺との繋がりが暗示される巨大地下施設の松代大本営
松代(まつしろ)大本営跡は、太平洋戦争末期、日本の政府中枢機能移転のために長野県埴科郡松代町(現長野市松代地区)などの山中に掘られた地下坑道跡です。現在、象山地下壕(ぞうざんちかごう)が一般公開されています。舞鶴山にはコンクリート製の庁舎が外に造られ、皆神山 ...
多くの朝鮮人労働者が動員された天理御座所の地下壕建設
《天理御座所(奈良行宮予定 地下壕)》には、大東亜戦争末期に、明治天皇の行宮地下壕が奈良県天理市豊田町に作られたことが記されています。1945年(昭和20年)5月、奈良県天理市の奈良海軍航空隊の格納壕として設営されていた一本松山の地下壕を転用し、予科練生2,000名によ ...
日清戦争の時期に東京から広島に移転された大本営
10月24日(土)の夜、地下壕のネット検索をしていると左腹部に痛みがありました。場所はどこかと思案すると「広島」だと感じました。広島は、「軍都」という日本の軍隊の施設が多くあった場所でした。私が知っている広島県の地下壕は、日清戦争前に広島大本営が置かれた「広島 ...