「皇居の周りに北海道の形がある」と伴侶が伝えて、そのツイッターを教えてくれました。『「皇居の周りを北海道の形に走ってみた」という記事ですが、北海道には大本教の聖地、芦別山があります。国常立尊が隠退した場所とされているそうです。芦別山の場所を皇居にあてはめてみたら、そこには吹上御苑がありました。さらに詳しく見ていくと、芦別山の位置には吹上御苑の中にある吹上大宮御所がありました。
吹上大宮御所は大正天皇の妻、節子皇太后や昭和天皇夫妻が住んでいたようで、現在は誰も住んでいないようです。
この位置関係は単なる偶然でしょうか?もう少し調べたいと思います』と記されていました。「大本教」「芦別岳」「吹上大宮御所」「節子皇太后」がキーワードと感じました。大本(大本教)は、世界救世教、崇教真光などの起源となる神道系宗教です。
宗教は、松取り(松果体収穫)を行うための隠れ蓑であり、基本は光を封じる闇の役割です。ただ、大本系の宗教の教義は玉石混交で、闇の中にも真実の光が伝えられていると感じています。大本、世界救世教、崇教真光については、過去にワークを行っていました。《北海道 芦別岳 ~巡礼の旅(331)~》にありますが、2016年4月に北海道の芦別岳に光を降ろしました。
芦別岳に光を降ろすと2体の男神を両脇に連れた女神が解放されました。調和を乱す者を一撃する破壊を司る女神です。芦別岳の隣の夕張岳に光を降ろすと、闇の仕事をするアークの宇宙船が退去していきました。上記の4つのキーワードを対象としてワークを行いました。貞明皇后(ていめいこうごう:1884年-1951年)は、日本の第123代天皇・大正天皇の皇后です。
旧名は、九条節子(くじょうさだこ)で、昭和天皇の母、明仁(上皇)の祖母、徳仁(第126代天皇)の曾祖母にあたります。ハンセン病の予防など救らい事業や福祉事業、蚕糸業(絹糸)奨励などに尽力しました。藤原氏から立后する最後の例です。「九条の黒姫様」と呼ばれ、農家の風習の中で逞しく育ち、栗拾いやトンボ捕りをするなど裸足で遊んだといいます。
吹上大宮御所は、吹上御苑とも呼ばれ、皇居(東京都千代田区千代田)・吹上地区にある御苑です。敷地の多くは森林となっており、その中に御所等の建物が点在します。地理上の位置は武蔵野台地の東端、海岸沿いの土地です。貞明皇后の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「ワニ」と伝えられました。吹上大宮御所に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「地下がある」と伝えられました。
過去のワーク《日本の暗闇の中心となる皇居の地下施設と東京地下の秘密通路の存在》でも、皇居に地下施設があることは分かっていました。《大本の霊場》にある芦別岳(北海道)、高熊山(京都府亀岡市)、弥仙山(京都府綾部市)、鉢伏山(鳥取県香美町)にも闇の解除・統合を意図して光を降ろしました。「いいです。松取り場所」「いいです」「OKです」と伴侶が伝えて来ました。
大本系宗教団体で、崇教真光と分派した世界真光文明教団のワークの必要性を感じました。世界真光文明教団は、静岡県伊豆市に本部を置く新宗教で、指導者は関口勝利です。手をかざして災厄を祓うとする「真光の業」と、「神理正法」という教えを軸に活動しています。初代教祖(教え主)の岡田光玉(おかだこうたま)は一時手かざし(浄霊)を行う世界救世教の有力信徒でした。
岡田光玉は「I・H陽光子乃友」を立教し、1963年に教団名を「世界真光文明教団」に改めました。1974年6月に岡田光玉は死去し、後継者をめぐって養女の岡田恵珠派と幹部信者の一人だった関口榮派に分裂、裁判になり、1982年に岡田派は崇教真光として別々の道を歩むことで和解しました。信者の約1/4が関口を二代教え主とする世界真光文明教団に入りました。
二代教え主の関口榮(1909年-1994年)の御魂が上がるよう、また、三代(現)教え主の関口勝利(1939年-)に闇の解除・統合を意図して、光を降ろすと、いずれも「反社」と伝えられました。静岡県伊豆市冷川にある世界真光文明教団主座世界総本山(主晃一大神宮)に光を降ろすと「光は入りました」と伝えられました。宗教の闇が統合され、闇の役割が終わりになることを願っています。