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11日、夜になって右上の前歯に弱い痛みを覚えました。今回の歯痛も明らかに闇の解除・統合のためのワークを促すサインでした。過去の経験から口内や歯の位置は、日本列島では東北地方に相当します。具体的な場所はどこなのかを思案すると山形県の「甑岳(こしきだけ)」と感じました。その日のセッションでクライアントの方が修験道(しゅげんどう)の修行をした山でした。

 

セッションでは、クライアントの方の修験者の過去世に光を降ろして統合していました。修験道は、山へ籠もって厳しい修行を行うことで悟りを得ることを目的とする日本古来の山岳信仰です。仏教に取り入れられた日本独特の宗教でもあります。修験道の実践者を修験者または山伏と言います。端的に言うと、修験道は光の拠点である山を封印するための闇の役割です。

 

修験者が山で滝行などの厳しい修行を行うことは自分を我慢させて闇にします。修験者が闇になり、闇のエネルギーを放つことで山を闇で封じることになるのが基本です。過去のヒプノセラピーやワークから修験道も純粋な闇からエゴの闇へ変遷して来たことが分かっています。初期の修験道は、修行や術、法力などで山を封印するのが純粋な闇の役割だったと感じています。

 

しかし、裏の仕事として松取りを行うことで山を封じるエゴの闇の役割になって行きます。松取り(松果体収穫)が日本に伝えられた頃には、修験道も山で動物や人の松取りをするようになったのです。修験道でも使う護摩炊きの火は、松取りの遺体を燃やして証拠隠滅するためのものです。この純粋な闇から松取りを行うエゴの闇への変化は、仏教の伝来が強く影響していると感じています。

 

過去世で村山修験の修験者として浅間山を封印していた》には、過去世で浅間山を修験者として封じていたクライアントの方と姉が出て来ますが、クライアントの方は、松取りをしない純粋な闇の修験者であり、姉は、松取りをして浅間山を強固に封じていたことが分かりました。また、《松取りの工作員をしていた天狗が光に還る》から修験者には松取り工作員の天狗がついていたと感じます。

 

源義経は、鞍馬山で天狗との接点があり、天狗のサポートの下で源氏の松取り工作部隊の長をしていたと見ています。甑岳は、山形県東根市と村山市の境にまたがる標高1,016メートルの山で、東北百名山のひとつに数えられます。修験道のウィキペディアには、甑岳(山形県)の修験道は、「古流修験本宗」と記されていました。古流修験本宗の公式サイトには、紋章として「九曜紋」が掲載されていました。

 

南部氏による青森・岩手周辺の松利権支配と九曜紋》から、九曜紋は、純粋なエネルギーである光の地を松取りの闇で封じた印です。古代和邇氏、和仁氏などの松取り工作の氏族や背後のワニの宇宙人、伊豆能売(いずのめ)、観音と深く関係しています。同サイトに『甑岳に高僧が佛を祀り仏法が伝わります。大化四年(六四八)に道昭が、霊像を安置し、観音寺の前身となる華蔵院を開いたのです。

 

以来、甑岳は霊験あらたかな山として人々が信仰するようになりました。当家には代々、甑岳を「本朝の鬼門」と伝えて来ました。鬼門とは、北東の方位の事です。鬼の出入りする万事に忌むべき方角とされています。こうした魔を封じるには、神社仏閣が祀られてきました。道昭は大化改新後、まだ間もない都の危うさを霊力で守れとの勅命を受け、誰も寄せ付けないこの遠隔の地に、奈良飛鳥の都のちょうど東北四五度の鬼門上に坐す甑岳を探し出したのです。

 

そして鬼門封じとして霊像を祀り、密かに都の護りとしての霊力を孕ませたのです。甑嶽山観音寺は鬼門封じの寺として、強力な加持祈祷を実践して来ました』と記されています。「奈良飛鳥の都」とは、日本史上で最初の条坊制を布いた本格的な唐風都城の「藤原京」です。何故、東北の方位(丑寅)を「鬼門」としたか、です。実は、東北地方に大きな光のエネルギーがあり、「鬼」をつけ悪い物として封じたのです。

 

「鬼」は、自然を守る光の役割の妖怪だと感じています。古流修験本宗の甑嶽山観音寺住職・甑岳聖海、甑嶽山観音寺に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「金。トカゲ」「何か別の実態がある」と伝えられました。甑岳が開くよう意図して光を降ろすと「封じられていた光が出た」と伴侶が伝えて来ました。やはり山形の甑岳は修験道によって封じられていました。甑岳が開かれ、光が広がっていくことを願っています。