グーグルマップで洗足池の周囲を観ていくと、「西郷隆盛留魂碑」「勝海舟夫妻の墓」「旧勝海舟別邸(洗足軒)跡」がありました。幕末維新の英雄とされる西郷隆盛と勝海舟の関係をうかがわせるものです。洗足池のウィキペディアには、『かつては、池のほとりに勝海舟晩年の邸宅「洗足軒」があったが戦災で焼失。現在は勝夫妻の墓が残り、大田区の文化財に指定されている。
幕末、勝は江戸総攻撃中止と江戸城無血開城を西郷隆盛に直談判するため、官軍の薩摩勢が本陣をおいた池上本門寺へ向かう途中、洗足池のほとりで休息した。明治維新後、池の風光明媚を愛した勝が移住し、西郷もここを訪ねて勝と歓談したと言う。勝夫妻の墓の隣に「西郷隆盛留魂碑」が建つ。これは、西郷が西南役に倒れた後、当時の東京府南葛飾郡の浄光院境内に勝が自費で建てたもの。
1913年(大正2年)に荒川放水路開鑿に伴い、当地に移建された。2019年(令和元年)9月7日、洗足軒隣接地に勝海舟記念館が開館した』と記されています。歴史の教科書では、江戸幕府側の代表として勝海舟は、明治政府側の代表の西郷隆盛に直談判をして、江戸城無血開城を成し遂げた英雄として称えられています。しかし、勝海舟と西郷隆盛は、裏で手を握っていたと感じています。
《松取りのための戊辰戦争という真実を闇で覆ったロスチャイルド》にありますが、幕末維新の内戦である戊辰戦争は、松取り(松果体収穫)を目的にしていました。日本の背後にはロスチャイルドの支配があり、戦争を隠れ蓑にした松取りが行われてきました。ロスチャイルドはもちろん、江戸幕府も明治政府も、裏では人命を犠牲にした金儲けをしていたのです。西郷隆盛はロスチャイルドの工作員でした。
それは過去の記事の《奄美大島の黒糖地獄から繋がった西郷隆盛のロシア生存説》にも書いています。表では2つの勢力が戦う構図を作り、その裏で人を殺めて松取りをしていたのです。晩年に勝海舟が洗足池の畔に邸宅を持ち、妻と暮らしていたのは、洗足池が光の場所である故に、昔から松取り場所となり、それを継承したからだと感じます。勝海舟が建てた西郷隆盛留魂碑は工作です。
松取りの真実を隠蔽するために、目に見える証として留魂碑を置いたのです。真実を隠すために目に見える建造物を遺すことは、暗闇の世にするための重要な工作活動です。洗足池の畔には、徳富蘇峰(とくとみそほう)の詩碑もあります。1937年(昭和12年)に勝海舟と西郷隆盛の江戸城無血開城の偉業をたたえた徳富蘇峰の詩碑が青木藤作ら九人の人々によって建立されました。
徳富蘇峰は明治20年代に赤坂氷川の勝海舟の邸内の借家に住み勝海舟の教えを受け、海舟を生涯の師の一人と仰いでいた人物です。勝海舟(1823年-1899年)は、江戸時代末期(幕末)から明治時代初期の武士(幕臣)、政治家です。初代海軍卿であり、日本海軍の創始者でもあります。徳富蘇峰(1863年-1957年)は、明治から昭和戦後期にかけての日本のジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家です。
勝海舟と徳富蘇峰の御魂が上がるよう光を降ろすと「米国派」「工作員」と伴侶が伝えて来ました。2人は、師弟関係であり、松取りの真実を隠すための工作員だったと感じます。松取りの闇として、薩摩勢が本陣をおいた「池上本門寺」と洗足池の近くで、現代の松取り場所となっている医療機関として「昭和大学病院」を選びました。池上本門寺は、東京都大田区池上にある日蓮宗の大本山です。
池上本門寺の開基は、池上宗仲です。池上宗仲は、鎌倉時代の武士で日蓮の有力檀越(布施をする人)です。池上宗仲の御魂が上がるよう光を降ろすと「宇宙人」と伝えられました。現住職の菅野日彰と境内に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「仁風林。松。金」「いいです」と伴侶が伝えて来ました。昭和大学は、1946年に設置された東京都品川区旗の台に本部を置く私立大学です。
1928年(昭和3年)に上條秀介や鏑木忠正(初代品川区長)らによって前身である昭和医学専門学校が置かれたことが始まりです。昭和大学の創立者である上條秀介と鏑木忠正に御魂が上がるよう光を降ろすと「闇。医療利権」「上級貴族」と伝えられました。理事長の小口勝司と学長の久光正に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「過去世で満鉄」「仁風林。ゴム」と伝えられました。
昭和大学と同じ敷地内にある昭和大学病院は、昭和大学が設置している八つの附属病院の一つで代表格的な病院であり、本院です。1928年に昭和医学専門学校の設置と同時に建設が行われ、1928年3月に落成し、昭和医学専門学校附属医院として同年5月に開院しました。病院長の相良博典と病院棟全体に光を降ろすと「松喰い」「地下あり」と伝えられました。
松取り場所が、古墳から宗教施設である神社、寺院を経由して、今は医療施設に移って来たことが分かります。また、戦争が古くから松取りの工作であり、現代の西洋医療が戦争に付随する軍隊から派生したことを考えると松取りが病院に繋がっていることは理解できます。隠された松取りの闇は、水という光の地を封じる仕組でもあります。洗足池の地が本来の光の場所となることを願っています。(おわり)