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25日、右足の外側の部分に痛みがありました。調査とワークを必要とする場所を知らせるサインでした。右足の太腿以下は、日本列島で言うと「大隅半島」にあたります。部屋の壁に貼ってある大きな日本地図を観ると大隅半島の先端の「鹿児島県南大隅町」だと感じました。グーグルマップで南大隅町を見ていくと「陸上自衛隊佐多射撃場」と「佐多岬」が気になりました。

 

佐多射撃場は、鹿児島県肝属郡南大隅町佐多辺塚にある陸上自衛隊が設置する射撃場です。九州地方における演習場のうち対空射撃が可能な演習場として知られており、また自衛隊で唯一と言われる79式対舟艇対戦車誘導弾・96式多目的誘導弾システム・中距離多目的誘導弾の対舟艇射撃が可能な演習場です。

 

松島要塞地下壕が存在した松取り場所としての宮城県・松島の地》にありますが、これまでのワークから自衛隊基地は、松取り場所になっていることが多いと分かっています。自衛隊基地は、戦時中の松取り場所である大日本帝国の陸海軍基地を引継いでいるのです。佐多射撃場は、国分駐屯地の所属であり、国分駐屯地司令と場所に光を降ろしました。

 

「分からない」「いいです」と伴侶が伝えて来ました。佐多岬は、鹿児島県肝属郡南大隅町佐多馬籠に位置し、大隅海峡に面する岬です。大隅半島のみならず、九州本島の最南端にあたります。ウィキペディアを読んでいくと『佐多岬先端部は20121029日まで一帯を管理していた岩崎産業が運営する佐多岬展望公園として入園料を徴収していた。

 

しかし、1030日付で譲渡され南大隅町の所有となり、無料で入園できるようになった。』と記されていました。「岩崎産業」が気になり、調べていると腰にチクっと痛みが走りました。「岩崎産業」に光を降ろすことが必要だと感じました。ウィキペディアには、『岩崎産業株式会社は、鹿児島県を中心に観光・交通事業等を手がけるいわさきグループの中核企業。

 

1923(大正12)に創業者の岩崎與八郎が木材加工業として創業したのが始まり。同年9月発生の関東大震災後に鉄道省へ大量の枕木を納品して財を成し、昭和初期に郵便逓送事業と鉱山運営事業に、太平洋戦争のさなかに奄美大島での山林経営事業にそれぞれ進出。さらに大戦後には離島でのバス会社設立や鹿児島県内の交通機関運営会社の買収により交通事業に進出。

 

1956年の指宿観光ホテル(現・指宿いわさきホテル)をきっかけに観光事業にも本格進出しました。現在は観光・交通事業を中心とした企業集団を形成している。グループ全体では45社、従業員約3000人、売上高は約500億円(20153)を誇る』と記載されています。岩崎産業は、19695月に伊豆・石廊崎に石廊崎ジャングルパークをオープンさせ伊豆に進出していました。

 

どうやら岬を封じる闇の役割の企業だと感じました。岩崎グループの創業者・岩崎與八郎(よはちろう)については、公式サイトでプロフィールが紹介されています。『志布志線の鉄道工事に伴い、鹿児島で初めての枕木納入業者になろうと決心。鉄道省への運動を始めました。しかしながら相手にされず、失意のうちに月日がたっていきました。そこへ、私にとって一世一代の転機となる関東大震災が起きた訳です。

 

忘れもしない大正1291日、私が満21歳の時でした。その年、鉄道省より許可がおりて納入を開始、その後自他共に認める日本一の枕木納入業者となりました。』とあり、岩崎グループの創業と拡大の転機が記されていました。また、『当時まだ名もない湯治場にすぎなかった指宿に、狂気の沙汰と言われながらも、昭和31年指宿観光ホテルを建設して、営業を開始。

 

売出しには人気作詞家などに地名を織り込んだ歌を作らせたり、日本一のジャングル浴場を作るなどの経営努力が実り、指宿の名が全国に知れ渡るようになりました。』とあり、温泉地である指宿市を観光の拠点にして、金の闇で覆っていたことも分かります。岩崎グループの創業者・岩崎與八郎(1902-1993)の御魂が上がるよう光を降ろすと「同和」と伝えられました。

 

現社長の岩崎芳太郎(1953-)と鹿児島県鹿児島市山下町の本社ビル(岩崎ビル)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「本人はいないかも。松。金」「ルーツは海賊じゃないかな」と伝えられました。大隅半島の先端にある南大隅町のワークは終わったと思いましたが、違いました。その日から3日続けて、ブルーのライトが点灯する不思議な出来事がありました。

 

夜になると部屋に置いてあったアロマディフューザーのスイッチが入り、ブルーの光を放っていたのです。電池は入っていますが、スイッチがオンオフできなくなって壊れていたので放置していました。最初は、何の意味か分かりませんでしたが、「ブルーの光」は「シリウスの場所」「水の場所」を暗示していると感じました。調べていくと、南大隅町には、重要な照葉樹の森の「稲尾岳」がありました。(つづく)