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日本ボーイスカウト兵庫連盟の公式サイトには、『現在のカブスカウトの源流であるウルフ・カブ隊が日本人によって初めて生まれたのは、今から83年前の大正12(1923)12月、神戸市須磨でのことです。当時の神戸市長石橋為之助氏の要請で、故古田誠一郎氏(日本連盟先達)が自ら隊長となって創設され、いちはやく日本連盟に登録されました。

 

それ以前にも大正7年に横浜でボーイスカウト隊の指導に当たっていた英国人のグリフィン氏によるウルフ・カブ隊や、神戸のカナディアンスクール内にカナダ人によって組織されていたという記録がありますが、日本人によるカブスカウト活動はこの須磨向上会ウルフ・カブ隊から始まったのです。』と記載されています。石橋為之助と古田誠一郎を光を降ろすワークの対象に選びました。

 

石橋為之助(1871-1927)は、大阪府出身の政治家、実業家、新聞記者で、第6代神戸市長(在任:1922- 1925)です。15歳の時に小学校教員検定試験に合格し、20歳まで教員として働きながら英語を勉強し、同志社大学に入学します。明治法律学校卒業後に米国に遊学しました。朝日新聞社(大阪朝日新聞)に入社すると在職中に衆議院選挙に立候補・当選し、10年間国会議員も務めました。

 

国会議員と新聞記者の両方の職を辞した後は山陽製鉄社長、広島瓦斯電軌(現在の広島ガス・広島電鉄)取締役、帝国石油取締役、鈴木商店顧問などを歴任しました。古田誠一郎(1897-1992)は和歌山県出身の社会事業家、教育者、ラジオ・テレビタレント、政治家です。日本におけるボーイスカウト草創期の指導者の一人で、初代の公選高槻市長でした。

 

ボーイスカウト日本連盟理事、日本キャンピング連盟常任理事を歴任しました。1919(大正8)、和歌山の聖救世主教会で受洗し日本聖公会に入信し、同年神戸に移住します。1921年(大正10年)121日、神戸の聖ミカエル教会でボーイスカウト神戸第1隊(ウォーカー隊)を指導していたフレデリック・ウォーカー宣教師、竹内宗六神父の援助を受け、平井哲夫と共に神戸ボーイスカウト山手隊を結成します。

 

日本人のみで構成される少年団でボーイスカウトを名乗ったのはこれが最初でした。石橋為之助、古田誠一郎の夫々の御魂が上がるよう光を降ろすと「神戸を闇にする総仕上げ人。八咫烏かもしれない」「松喰い。人身売買。金。黄の闇。ペド。悪魔崇拝」と伝えられました。プロテスタントのキリスト教派の日本聖公会はフリーメイソン米国派であり、古田誠一郎が入信していたことは頷けます。

 

「この2本指の少年の像が気になる」と伴侶が言いました。須磨海岸のウルフカブの発祥の地に置かれた、二指のサインを真上に伸ばし天を仰ぐカブの像のことでした。グーグルマップのカブの像の画像を観て光を降ろすと「いいです。バフォメットの二本指と同じ」と伴侶が伝えて来ました。バフォメットは、悪魔崇拝の象徴として神です。過去のワークで、伴侶と近い関係の人から解除されていました。

 

バフォメットは、サタンの本体だと感じます。ウィキペディアには、『バフォメットは、テンプル騎士団が異端審問の際に崇拝しているのではないかと疑惑を持たれた(キリスト教徒が想像する)異教の神。黒ミサを司る、山羊の頭を持った悪魔。両性具有で黒山羊の頭と黒い翼をもつ姿で知られるようになり、魔女たちの崇拝対象となった。』と記されています。

 

現実的なバフォメットの姿を探してみると《カラパイア》に米国ミシガン州デトロイトにある悪魔教会(Satanic Temple)の巨大ブロンズ像の画像がありました。バフォメット像は、髭を生やした山羊の頭、五芒星と逆の五芒星、ヘルメスの杖(ケーリュケイオン)、交差した蹄(ひづめ)の両足、右手の人差し指と中指の2本の二指の礼が特徴です。そして、両脇に少年と少女がバフォメットを見上げている構図です。

 

バフォメット像の2本指と両脇の少年少女がバフォメットを見上げている姿は、須磨海岸のウルフカブの発祥の地に置かれたカブ像と共通しています。ボーイスカウトのカブスカウトが悪魔崇拝の生贄という松取り(松果体収穫)に深く関係していることを暗示します。カブ像は、人差し指と中指のVサインになっています。しかし、調べてみると本当の二指の礼は、人差し指と中指をくっつけた二本指です。

 

最後に、須磨海岸の背後の鉢伏山に光を降ろすと「いいです。光は入りました」と伝えられました。神戸市須磨区は、六甲山の東端に位置しています。過去の六甲山周辺のワークで《神の戸が開くと光が出る》と伝えられています。六甲山の光を封じ、須磨の海岸線を固めるためにカブスカウト発祥の地に深い闇を置いたと感じます。神戸市須磨の地が開かれて本来の光の地になることを願っています。(おわり)