
江之浦測候所は、神奈川県小田原市江之浦にある美術館・展示施設です。2017年に、現代美術家の杉本博司が、構想から竣工まで20年の歳月を費やした複合アート施設です。蜜柑畑だった11,500坪の起伏に富んだ広大な敷地に、収集品を中心とした古今東西の美術作品を鑑賞するためのギャラリー棟、石舞台、光学硝子舞台、茶室、庭園、門、待合棟などから構成されます。
グーグルマップで江之浦測候所の画像を観ると、石がふんだんに使われていることが分かります。展示物には、石仏や祠、茶室もあり、古来の松取り(松果体収穫)に繋がるものだと感じます。昔からの神社仏閣(神社、寺院、城)や古墳は、松取りを行うための工作施設です。それ故に、神社仏閣や古墳は、土地の光を封印する闇の役割でした。寺院の石仏、神社の祠も闇のエネルギーを放つものです。
過去のヒプノセラピーでは、茶室は、大名などの権力者が松果体を摂取する場所と伝えられています。茶人を兼ねている大名が多くいますが、茶人そのものが松取り工作員だと感じています。公式サイトには、『施設に使用される石材は根府川石、小松石等を使用する』とあります。小田原市、真鶴町など伊豆半島の東側沿岸の場所は、古くから石の産地でした。
江之浦測候所の海岸沿いには、「江之浦の磯丁場跡(江之浦漁港突堤西側石丁場群)」の史跡があります。真鶴半島などは、良質の安山岩の産地として知られ、鎌倉時代から石塔類などに用いられましたが、江戸時代のはじめには江戸城築城のため多数の石丁場が開かれました。本来、石は、精霊が宿る光のエネルギーを放つ自然物でしたが、闇で封じられたのです。
石の精霊を封じて闇にするために松取りが行われました。奈良県明日香村の石舞台古墳は、巨石で覆われた密室の中で松取りが行われたと見ています。同じく明日香村にある酒船石遺跡の酒船石には、人型に丸や直線の溝が彫られています。これは、石の上に犠牲となる人を寝かせて松取りによる生血を採集するためだと感じます。石の上に人の松取りをするのは、石を闇にするためです。
《古代インカのミイラが示唆する松果体摂取という生贄のための麻薬や酒》にありますが、磐座も松取りによって闇にされてきました。松尾大社の背後の松尾山の山頂には磐座があり、松果体摂取のための生贄が行われていたと思われます。本来、光のネットワークを繋ぐための磐座は、松取りによって闇にされてきました。こうして闇の石は、ピラミッド、宮殿、城壁、塀など様々な建築物に利用されました。
地球全体が暗闇の環境になったのです。杉本博司は、香川県の直島の護王神社の建築を手がけており、ベネッセアートサイト直島に関係しています。江之浦測候所の建築主・運営は、公益財団法人小田原文化財団です。小田原文化財団の設立時の代表理事は、銀座にあるギャラリー小柳のオーナーの小柳敦子(杉本博司の妻)です。ギャラリー小柳の源流は、瀬戸物屋にありました。
《壹番館洋服店》には、「初代久兵衛が嘉永5年(1852年)に三十間堀に瀬戸物屋を開いたのに始まる」「日本の陶磁器を外国に輸出したり、外国の商品を輸入したりして、日本品を海外に認識させた」とあります。画像と共に「陶舗時代の小柳商店。 2階には丸の中に十の字を書いた 小柳のマークがあしらわれています」とあり、島津の家紋と同じ丸十のマークで、松取りを暗示しています。
瀬戸物は火の窯を使って出来る陶磁器です。窯は、古くから松取りの証拠隠滅のための工作として使われてきました。江之浦測候所の基本設計・デザイン監修は、「株式会社新素材研究所」であり、代表は榊田倫之です。《Oya, Stone City》には、榊田倫之が宇都宮市公認の「大谷石大使」第一号と記されています。過去のワークで宇都宮市八幡山と大谷寺・大谷観音に光を降ろしていました。
大谷寺は、大谷石の源流となる場所で、宇都宮タワーがある八幡山は「プレアデスの闇の拠点」と伝えられました。江之浦測候所の関係者3名と江之浦測候所に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「闇。仁風林」「両性」「フリーメイソン」「地下がありそう」と伝えられました。隠されて来た松取りの闇は、地球の光を封じる根源的な闇です。江之浦の地が開かれて、本来の姿になることを願っています。(おわり)