
「旭川女子中学生いじめ凍死事件」の関係者を調べていくと《Guts Diary》のリンクに《旭川のいじめ凍死事件【学校がカルト宗教思想で狂っている】》の記事がありました。旭川市では、2010年から8件の女子生徒の自殺や死亡の事故が起きているようでした。『2010年5月 旭○西高 飛び降り自殺(他殺の可能性あり)これともう1件死亡事故(2名とも女子生徒との噂あり)/2016年 旭○商業 女子生徒が修学旅行中に列車にひかれて死亡 いじめをされていたという証言あり/
2018年6月 永○中学 女子生徒が学校内のトイレで死亡 自殺で処理/2018年7月 永○中学 女子生徒が中学の敷地内で絞殺される/2018年 永○中学 女子教師が死亡 被害者生徒のいじめを止めようとしていたとの情報あり/2019年 旭○工業 定時制の生徒がいじめを苦に自殺? これも女子生徒か?/2020年7月 旭○工業 女子生徒がフィール旭川の前で死亡 飛び降り自殺で処理されるが遺体に損傷なし/
2021年3月 廣瀬さんの遺体が永山中央公園で見つかる 永○中学と200mほどの距離』と記されています。"旭川市さん 女子生徒ばかりがなぜか毎年自殺 その驚きの理由 25年前には 旭川女子中学生集団暴行事件もあったし 旭川 マジ魔境やな…"とありますが、まさに、旭川市の土地は魔という深い闇に侵されている感じです。《旭川のいじめ凍死事件【これは自殺でなく他殺 】》には相関図が載っていました。
「北海道旭川市14歳女子いじめ凍死事件相関図」が掲載されているツイッターには、「創価学会が絡んでいる。担任の菅野未里は、創価信者の情報あり。過去に似たような事件がありました。警察は被害者を自殺としてますが、殺害した情報もあり」という内容が記述されています。被害者の廣瀬爽彩(さあや)さんが在籍していた中学は、旭川市立北星(ほくせい)中学校です。
相関図によると加害者は60名以上であり、加害者が在籍していた中学は主に、旭川市立北星中学校、旭川市立北門(ほくもん)中学校です。加害者(主犯格)A子、加害者B男、加害者(主犯格)C男に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「分からない」「抜けられなかった」「トカゲ」と伴侶が伝えて来ました。遺族の手記には、死亡した廣瀬爽彩さんの母親に言ったという北星中学校教頭・中山岳のあり得ない言葉があります。
「10人の加害者の未来と、1人の被害者の未来、どっちが大切ですか。10人ですよ。1人のために10人の未来をつぶしていいんですか。もう一度、冷静に考えてみてください」。北星中学校の担任・菅野未里、教頭・中山岳、校長の金子圭一(当時)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「トカゲ」「こいつもやっていたかもしれない」「隠す人」と伝えられました。
調査を全くしなかったとされる旭川市教育委員会教育長・黒蕨真一、旭川中央警察署長・井澤清司、旭川市市長・西川将人に光を降ろすと「創価」「同じ」「やっていたかもしれない」と伝えられました。西川将人の経歴には昭和59年(1984年)3月永山中学校卒業とあり、古くから魔界の闇が浸食していたと感じます。ワークから、旭川市は、政治、教育、警察が全てグルになっている構図があると感じます。
暗黒集団にとって不利益になる事件事故や対象を全て抹消・隠蔽するのです。こうした旭川市に根づいている深い闇の源流のヒントが旭川市立北門中学校のウィキペディアにありました。「知里幸恵と北門中学校」の項目には、『知里幸恵(ちりゆきえ:1903年-1922年)は19年の短い生涯のうち、大半を占める6歳から19歳までの約13年間を旭川で過ごしていた。彼女が旭川で生活していた場所が、現在の北門中学校の敷地だった。
このことを後世に伝えるために1990年(平成2年)には校舎前庭に「知里幸恵文学碑」が建立され、1997年(平成9年)には校内の一角に「郷土資料室」、2007年(平成19年)に「知里幸恵資料室」が整備された。』とありました。知里幸恵は、北海道登別市出身のアイヌ女性です。その著書『アイヌ神謡集』の出版が、絶滅の危機に追い込まれていたアイヌ伝統文化の復権復活へ重大な転機をもたらしたことで知られます。
カムイユカラを「文字」にして後世に残そうという金田一からの要請を受け、東京・本郷の金田一宅に身を寄せて翻訳作業を続けました。知里幸恵の写真の下の説明書には、『この写真は、彼女が死去する2ヶ月前、1922年(大正11年)7月に滞在先の東京の金田一京助の自宅庭で撮影された』と記されていました。私は知里幸恵が「虐げられて口封じされ祭り上げられた」と直感しました。
金田一京助(1882年-1971年)は、岩手県盛岡市出身の言語学者、民族学者で、國學院大學教授を経て東京帝国大学教授、國學院大學名誉教授の地位に就きました。日本のアイヌ語研究の本格的創始者として知られています。米国派工作員だった石川啄木と親交が深く、金田一同じ工作員だったと感じます。北門中学校の校庭にある知里幸恵文学碑の画像を観ると「男根」と伴侶が伝えて来ました。
さらに、光を降ろすと「アイヌのシャーマンだった。恨みつらみの術を掛けた。全てのアイヌの女性の恨み。だから同じ目にあった」と伝えられました。知里幸恵の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「解き放たれるといいのだけれど。やられ尽くして殺された」と言いました。性的暴力を受けた上に松取りの犠牲となって殺されたと感じます。金田一京助の御魂が上がるよう意図して光を降ろしました。
「物凄い支配。分け隔てていた。アイヌを人間と思っていなかった」と伴侶が伝えて来ました。北海道の開拓時代、アイヌの人たちが虐げられて、松取りをされ、虐殺された真実が隠されてきました。イギリス人キリスト教宣教師のジョン・バチェラーや金田一京助などアイヌ研究という名の下に裏で、アイヌの女性を虐げて来たのです。旭川は、アイヌの女性の怨念が渦巻く地となったと感じます。(つづく)