9月17日、夕食後に「桑田佳祐
がん手術後も不調続く」のヤフーニュースについて伴侶が話していると、突然、喉の不調に襲われました。いつものように、喉の詰まりと声が枯れる症状です。桑田佳祐に関する闇のサインであり、関連する闇の解除・統合を目的としたワークを行う必要がありました。桑田佳祐は、2010年7月の定期検診で食道癌が発覚し、治療に専念するために音楽活動を休止しました。
同年8月に手術が無事に終了して退院し、10月にアルバムのレコーディングを再開し、12月には紅白歌合戦に特別枠として出演し音楽活動を再開させていました。ワークの対象を選定するために、桑田佳祐についての情報をネットで収集しました。桑田佳祐(1956年-)は、神奈川県茅ケ崎市出身の男性ミュージシャン、シンガーソングライターで、自身がバンドマスターを務めるサザンオールスターズのボーカル・ギターを担当しています。
所属事務所はアミューズ、所属レコード会社はJVCケンウッド・ビクターエンタテインメント、所属レーベルはタイシタレーベルです。鎌倉学園高等学校を卒業し、青山学院大学経営学部を除籍となっています。妻はサザンオールスターズのキーボード・ボーカル担当の原由子、姉は作詞家の岩本えり子です。個人的には、サザンの歌は好きで、昔はカラオケで歌うこともありました。原由子の実家の天ぷら屋「天吉」にも行ったことがあります。
所属事務所がアミューズなので、松利権ネットワーク・DSの役割だと予想していました。三浦春馬の自殺とされる他殺事件がきっかけとなった《日本の人たちが真実に目覚めるための役割》をはじめとする幾つかのワークで、アミューズの経営層には光を降ろしていました。ただ、所属レーベルのタイシタレーベルの社長・中西正樹が気になりました。中西正樹は、1998年、アミューズに入社直後から、サザンオールスターズのマネージャーを担当していました。
その後、2019年6月に45歳の若さでアミューズの社長に就任しました。京都府出身の中西正樹(1973年-)の経歴の中で、「龍谷大学文学部卒業」とあり、「龍谷大学」をワーク対象としてピックアップしました。桑田のワーク対象としては、「鎌倉学園高校」「青山学院大学」を選びました。また、桑田の父親は満鉄出身だと知っていました。桑田の姉・岩本えり子(1952年-2008年)のウィキペディアには、父親の情報が記載されていました。
『久司は満蒙開拓移民として南満州鉄道に勤務したのち、引揚後は北九州に移り住み「複雑な知り合い」に世話になった時期を経て(佳祐も自身の本籍地が北九州市若松区(旧若松市)であることを公表している)、湘南の地方新聞の記者、茅ヶ崎の映画館(大黒館。後に茅ヶ崎国際劇場と改名)や小田原市の西洋料理店「grill KONOMI」の雇われ支配人、妻の昌子(佳祐の実母であり、えり子にとっては継母)と二人三脚でのバー経営と数々の職業を転々としていた』とあります。
桑田の父・久司は、満鉄に勤めていたことから工作員だったと感じます。《植民地・朝鮮半島を闇の仕事に利用した南満州鉄道》にありますが、満鉄(南満州鉄道)は、実質的に日本を暗闇にする中心的役割である「電通」の前身である工作組織でした。過去世の自分も闇の仕事をする人間として、深く関係していたことが分かっていました。「満蒙開拓移民」が重要なワードであり、ワーク対象に選びました。
桑田佳祐と中西正樹に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「レプ。DS。松喰い」「トカゲ」と伝えられました。鎌倉学園中学校・高等学校は、神奈川県鎌倉市山ノ内に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校です。1921年(大正10年)、 臨済宗建長寺派寺院の支援を受け、旧制 「鎌倉中学校」として創立しました。創立者は建長寺派管長の菅原時保(すがわらじほう)です。
戦後の学制改革により新制中学校・高等学校となり、現在の生徒数は約1,450名、教職員数 約120名です。建長5年(1253年) 、鎌倉幕府五代執権北条時頼が南宋の禅僧である蘭渓道隆を招き、日本最初の禅の専門道場として建長寺を創建しました。1885年(明治18年)、前身となる宗学林を創設します。1921年(大正10年) 9月10日、財団法人鎌倉中学校の設立が認可されました。
鎌倉学園中高校の創立者・菅原時保(1866-1956:建長寺派管長)に御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「裏インド」と伴侶が伝えて来ました。鎌倉学園高校の校長・竹内博之と学校法人鎌倉学園理事長・石澤彰文(建長寺派宗務総長)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「創価。でもいい人だけど闇に染まっている」「色情」と伝えられました。古くから、寺院は光を封じるための隠された松の闇の役割を担っていました。(つづく)