
龍谷大学は、1922年に設置された、京都府京都市伏見区深草塚本町に本部を置く私立大学です。1639年(寛永16年)、西本願寺13代宗主良如が、本山本願寺阿弥陀堂の北に僧侶の教育機関として設立した学寮を起源とします。建学の精神(校訓・理念・学是)は、浄土真宗の精神であり、真実を求め、真実に生き、真実を顕かにする人間の育成を目指しています。
1987年4月から1993年9月に、住友商事元会長・植村光雄による「総合商社論」や、元大蔵大臣で旧新党さきがけ代表・武村正義(当時は滋賀県知事)により、1984年から1989年4月まで「地域政策論」などが開講されました。さらに、社民党元党首の土井たか子や、弁護士の中坊公平など、政界・経済界の面々が、同学の客員教授として講義しました。欧州の闇(ロスチャイルド)の色合いが濃いと感じます。
《睡眠薬混入問題の小林化工から繋がった蓮如と浄土真宗のワーク》において、浄土真宗の中興の祖・蓮如や浄土真宗本願寺派、真宗大谷派のトップに光を降ろしていました。龍谷大学の創設者・良如(1613年-1662年:西本願寺13代宗主)の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「創価」と伝えられました。創価は松利権ネットワークのことであり、金の闇の網と言えます。
理事長・石上智康(浄土真宗本願寺派総長)、学長・入澤崇、キャンパス全体に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「反社」「タコの宇宙人」「いいです」と伝えられました。桑田佳祐関連のワークで、個人的に一番気になっていたのが「満蒙開拓移民(満蒙開拓団)」です。北海道開拓、樺太開拓、台湾開拓などの開拓事業の隠された本質は、「松」「薬」を主とする金儲けであり、日本を暗闇にする源流になったと感じています。
ウィキペディアによると、『満蒙開拓移民(満蒙開拓団)は、、1931年(昭和6年)の満州事変以降、1945年(昭和20年)の太平洋戦争敗戦までの期間に日本政府の国策によって推進された、満州、内蒙古、華北に入植した日本人移民の総称である。1932年(昭和7年)から大陸政策の要として、また昭和恐慌下の農村更生策の一つとして遂行され、満州国建国直後から1945年の敗戦までの14年間に日本各地から満洲・内蒙に開拓民として、27万人が移住した。
日本政府は、1938年から1942年の間には20万人の農業青年を、1936年には2万人の家族移住者を、それぞれ送り込んでいる。加藤完治が移住責任者となり、満州拓殖公社が業務を担っていた。この移住は1945年半ばまで続き、日本軍が日本海及び黄海の制空権・制海権を失った段階で停止した。満蒙開拓団の事業は、昭和恐慌で疲弊する内地農村を中国大陸への移民により救済すると唱える加藤完治らと屯田兵移民による満州国維持と対ソ戦兵站地の形成を目指す関東軍により発案され、反対が強い中、試験移民として発足した。
1936年(昭和11年)までの5年間の「試験的移民期」では年平均3000人の移民を送り出した。1937年(昭和12年)から1941年(昭和16年)までの5年間は「本格的移民期」にあたり年平均送出数は、3万5000人にのぼる。開拓民が入植した土地はその6割が漢人や朝鮮人の耕作していた既耕地を買収した農地であり、開拓地と言えない土地も少なくなかった。太平洋戦争末期の戦局の悪化により、開拓団からの召集も増えるようになり、特に1945年7月の「根こそぎ動員」では、約4万7000人が召集された。
同年8月9日にソ連軍が満州に侵攻すると、関東軍は開拓移民を置き去りにして逃亡した。ソ連参戦時の「満蒙開拓団」在籍者は約27万人であり、そのうち「根こそぎ動員」者4万7000人を除くと開拓団員の実数は22万3000人、その大半が老人、女性、子供であった。男手を欠いた開拓移民は逃避行に向かい、その過程と難民生活で約8万人が死亡した。主に収容所における伝染病感染を含む病死、戦闘、さらには移民用地を強制的に取り上げられ生活の基盤を喪っていた地元民からの襲撃、前途を悲観しての集団自決などが理由である。
敗戦時に旧満州にいた日本人は約155万人といわれるが、その死者20万人の4割を開拓団員が占める。石原莞爾と甘粕正彦は満蒙開拓武装移民には否定的であった点では共通するが、甘粕の場合、大型機械などを用いた産業化とは対極的な、過酷な身心鍛練を通した農本主義的・精神論的な加藤完治の“日本主義”のそれにあり、屯田兵の役割を担う開拓武装移民団には肯定的であった』と記されています。
満蒙開拓団は、多大な犠牲者を生んだ暗黒の国家事業だったと感じます。移住責任者の加藤完治(1884年-1967年)、加藤が掲げた古神道に基づく農本主義者・筧克彦(1872年-1961年)、加藤と共に満蒙開拓移民を推進した関東軍将校・満州国軍政部顧問の東宮鉄男(1892年-1937年)の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「大トカゲ」「アーク」「日本人ではなく現地の人かもしれない」と伴侶が伝えて来ました。
「世界最終戦論」など軍事思想家で、関東軍作戦参謀とし満州事変を起こした首謀者とされる石原莞爾(1889年-1949年)、大杉栄らを殺害した甘粕事件で知られ、関東軍の特務工作を行い満州国建設に一役買った甘粕正彦(1891年-1945年)、満州拓殖公社初代総裁・坪上貞二(1884年-1979年)の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「工作員」「あなたの過去世」「創価。同和」と伝えられました。
やはり満蒙開拓団が気になったのは過去世の自分が関与していたからでした。満州国、満鉄(南満州鉄道)、満蒙開拓団の闇が裏の松利権ネットワークである創価学会の闇に繋がっていると感じます。最後に、満蒙開拓移民として亡くなった人たちの御魂が上がるように満州の地に光の柱を立てる意図で光を降ろすと「いいと思います」と伝えられました。満州の地に留まった魂が上がり、深い闇が大きな光に変わることを願っています。(おわり)