9月30日、朝方、右腹の部分に痛みがありました。日本ハムの創業者・大社義規の故郷の徳島県だと思いました。日ハム関連のワークは終わっていましたが、まだ、何か創価学会について知る必要があると感じました。とりあえずネット検索で情報収集していくと《牧口常三郎と頭山満》のブログ記事に行き着きました。『創価学会に関しては、天皇は勿論、神社(伊勢神宮も含めすべて)への敵視感しかない。
まず、創価学会であるが、初代会長の牧口常三郎が創始したが、その前に所属していた団体は、大日本皇道立教会という団体です。
ここには、2代目会長の戸田城聖もいた。他のメンバーには、出雲大社の宮司の千家尊福、西郷隆盛の意志を継いだ頭山満、東郷平八郎、大隈重信など相当な人物がいます』と記載されていました。「大日本皇道立教会」という団体名は、初めて聞くものでした。
「大日本皇道立教会」を調べていくと《日本を裏で動かす真の姿::歴史の探求:大日本皇道立教会》の記事を見つけました。出典先は、「シャンティ・フーラの時事ブログ」でした。『明治維新の中核的存在だった天忠党ですが、総督であった中山忠伊の子・忠英によって、後継団体の大日本皇道立教会が設立されます。ウィキペディアによると、後の創価学会となる創価教育学会の創設者である牧野常三郎、戸田城聖の名があります。
また、忠英の子・忠徳の門下には、出口王仁三郎などの名が見えます。彼らは以前紹介した上田家系図に出て来ます。後には児玉誉士夫も加入したとありますが、彼と笹川良一には密接なつながりがあったのはよく知られています。上田家系図に、先の3名と笹川良一を含む4名が一族として名を連ねるというのは、尋常ではないと思います』と記されています。大日本皇道立教会の Wikipediaのコピペ記述も載っていました。
『大日本皇道立教会(だいにほんこうどうりっきょうかい)は、南朝を正統とし、その皇道に沿った教育を行う趣旨の元で、1911年に創立された。中山忠英(父親は中山忠伊)が初代会長に就任し、大隈重信、一木喜徳郎、牧口常三郎、戸田城聖、数名の華族により構成されている。後には児玉誉士夫も加入。後に、大日本皇道立教会の会員のうち、創価教育学会の創立にかかわるものがいた』とありました。
現在の大日本皇道立教会の Wikipediaを見ると、「牧口常三郎」「戸田城聖」「創価教育学会」の記述が見当たらないので、隠蔽工作されたと思いました。ウィキペディアも工作員が加筆することがあるので、隠蔽は承知の上で使っています。逆に、「牧口常三郎」「戸田城聖」「創価教育学会」は、工作員にとって重要なワードであり、大日本皇道立教会と創価教育学会(創価学会の前身)を繋げられては困るのです。
引用記事には、『2代目裏天皇・堀川辰吉郎、創価学会創立者・牧口常三郎、第三代副会頭・秋月左都夫、児玉誉士夫の人物の氏名と「堀川辰吉郎に仕え守護する大日本皇道立教会」』の文字が記された集合写真が掲載されています。《キリスト教の闇が日本を支配する構図を導いたキリシタン黒田官兵衛》にもありますが、右翼団体・玄洋社の総帥・頭山満が幹事長であることは、日本のロスチャイルド組織と言えます。
DS(ディープステート)は、表の米国の闇(米国・ロックフェラー)と裏の欧州の闇(欧州・ロスチャイルド)から構成されます。米国の闇、欧州の闇とも松利権を主とする金の支配という利権の拡大を狙っています。簡単に言えば、金の闇のネットワーク集団です。「松」「薬」「人身売買」「武器」など裏世界を使った金儲けが目的となります。日本においては国民を裏で支配して命を金に換える深い闇の仕組になっているのです。
大日本皇道立教会は、裏の欧州の闇であるロスチャイルド側の組織です。この延長が現在の創価学会の闇という政治、宗教、反社、教育、警察、裁判所など司法、立法、行政を含む社会全体を覆う暗黒網の中心になっていると見ています。《熱海市土石流で浮上する政治・宗教・反社が絡む利権集団の闇の構図》にある熱海市の土石流災害には、この暗黒網が深く関与しているので原因究明が進まないのです。
27名の死者・行方不明者を出し、多くの人たちが被災しているのに、熱海市や静岡県は動きません。ネットでは人災を生じさせた当事者の情報が溢れているのに、意図的に避けていると見えます。全てが金の利害関係のあるグルの暗黒集団だからです。《暗黒街の旭川の根底にある警察・公安・市民に浸透する反社の闇の構図》にある「旭川女子中学生いじめ凍死事件」の原因究明が進まないことも同じです。
北海道、旭川市、学校、教育委員会、反社、宗教、警察、裁判所が闇に加担している構図です。ピラミッド社会の支配層が、一般の人々を搾取して金儲けできる暗黒の闇の仕組が構築されているのです。闇の時代は必要な仕組でしたが、今はもう要りません。日本を暗闇にする明治以降の暗黒網の源流となる大日本皇道立教会や2代目裏天皇・堀川辰吉郎について、さらに調査してワークを行うことにしました。(つづく)