
大日本皇道立教会は、第119代光格天皇の孫にあたる中山忠英(父親は光格天皇の第六皇子で、中山家に臣籍降下した中山忠伊)が光格天皇が目指した「四民平等の世、天朝御直の民」を実現し、日本精神を作興するため、1911年に創立された組織です。中山忠英が初代会長に就任しました。明治天皇外戚中山宗家主宰「貴嶺会」の公式サイトに貴嶺会関係組織図が掲載されています。
貴嶺会関係組織図によると、「大日本皇道立教會」の前身が「皇道立教會」、その前が「皇道會」、その前が「天忠党」となっています。創価学会に繋がる「大日本皇道立教會」の起源が「天忠党」となります。また、「貴嶺会」の公式サイトには「天忠党 顕彰慰霊祭趣意書」が掲載されていました。この関係図は、幕末維新からの日本の深い闇の仕組の構築の歴史を解明する上で、非常に重要なヒントになります。
この図には、仙石騒動、大塩(騒動乱)、寺田屋事件、大和天誅組、生野義挙、水戸筑波山、池田屋、禁門の変、高野山義挙が記されています。いずれも、人命の犠牲が伴う騒乱・動乱、事件の出来事です。また、その下部には、勤皇派・水戸藩、正義党・長州藩、精忠組・薩摩藩、勤王党・土佐藩、筑後・久留米藩、肥後藩、筑前・黒田藩、豊後・岡藩が各藩士と共に列挙されています。
長州藩には吉田松陰、久坂玄端などの名があり、土佐藩には坂本龍馬、中岡慎太郎などの名前が記されています。どうみても、幕末維新の時の工作活動に関わった人物だと感じます。「戦わせて松を取る」ことであり、「戦いによって利益を得る」という裏の目的の下で行われた工作活動だと推察します。安政の大獄で、29歳で処刑された吉田松陰や31歳で暗殺された坂本龍馬は、偽装死の可能性が高いと感じます。
戦争という松取り工作のベースに、吉田松陰の松下村塾を源流とする「尊王攘夷(天皇を尊び外敵を排除する)」の思想があります。この流れが、討幕派VS佐幕派、新政府軍VS徳川幕府軍となり、西南戦争や会津戦争などの戊辰戦争に繋がります。貴嶺会の天忠党の図の中で「天誅組」に注目しました。ウィキペディアによると、『天誅組(てんちゅうぐみ)は、幕末に公卿中山忠光を主将に志士達で構成された尊皇攘夷派の武装集団。
大和国で挙兵するが、幕府軍の追討を受けて壊滅した(天誅組の変)。自らは当初、 皇軍御先鋒、五条御政府などと称したが、通称として天誅組が使われ始め、後に大々的に天誅組と称されるようになった。文久3年(1863年)8月13日、孝明天皇の神武天皇陵参拝、攘夷親征の詔勅が発せられる(大和行幸)。8月14日夜、土佐脱藩浪士の吉村寅太郎ら攘夷派浪士は大和行幸の先鋒となるべく、攘夷派公卿の前侍従中山忠光を主将に迎えて京を出発した。
彼らは伏見から淀川を下って大坂から海路で堺へ再上陸。そこから河内へと向かう』とあります。中山忠光(1845年-1865年)、吉村寅太郎(1837年-1863年)の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「分からない。祭り上げられた人」「騙されたと思う」と伴侶が伝えて来ました。天誅組の変は、感覚的には、松取りのための工作に間違いないと思います。天忠党のトップである中山家が気になりました。
中山家のウィキペディアには、『中山家は、藤原北家花山院家の支流にあたる公家・華族。公家としての家格は羽林家。華族としての家格は侯爵。羽林家の中で侯爵に叙せられた家は中山家と四条家の2家のみである。愛親の曾孫の忠能は明治天皇の生母である典侍中山慶子の父で、幕末から明治維新にかけては政治的にも活躍し、条約勅許に反対したり、和宮親子内親王の降嫁を推進したりした。
忠能の七男・忠光は尊王攘夷派の急先鋒で天誅組の首領となり、大和国で決起したが、幕府軍の討伐を受けて壊滅し、忠光自身も長州藩の俗論派の刺客により暗殺された(天誅組の変)。明治維新後には、幕末からの功績を認められて忠能は侯爵に叙せられ、神祇伯を務めた。中山家は藤原一族の男系血統を絶やさずに守り続けている家のひとつ』と記されています。中山家の起源は、藤原家でした。
藤原家は、大化の改新をはじめ、平将門の乱など、日本の歴史の中で、数々の工作を成す役割の氏家だと感じます。今、振返ると、藤原家によって日本の松(松果体)利権が支配されて来たとも言えます。新政府軍VS徳川幕府軍の戦争である戊辰戦争については《松取りのための戊辰戦争という真実を闇で覆ったロスチャイルド》に書いています。ロスチャイルドが背後にある松取りのための戊辰戦争だったのです。
松取りは金儲けです。DSの上部が敵味方に分かれて、下部の兵士を戦わせて金儲けという松取り工作を遂行していったのです。手を組んでいた新政府軍と徳川幕府軍の上層部は、松取りの確信犯だったと感じます。過去のヒプノセラピーで《表の米国の闇と裏の欧州の闇》と伝えられました。日本の闇を表の闇と裏の闇に分けたのです。表の米国派・ロックフェラーと裏の天皇派・ロスチャイルドになります。
表の米国の闇の代表は「長州」であり、裏の欧州の闇の代表は「薩摩」です。表を長州藩にして、裏を薩摩藩が支配するのです。この表裏の闇の仕組には、天皇も絡んでいます。その1つが、いわゆる、明治天皇のすり替え説であり、もう1つが裏天皇です。生涯平安京内で過ごした最後の天皇の孝明天皇が殺されて、大室寅助(大室寅之祐)にすり替えられたとも言われます。しかし、表と裏の闇の仕組の全体像から見れば、自ずと答えが出てくると思います。(つづく)