明治天皇のすり替え説と裏天皇について、個人的には、孝明天皇は殺されたのではなく、意図的に裏に回ったと見ています。落合莞爾のWikiwandには、『幕末に偽装死した孝明天皇と睦仁親王が、以降の政体天皇を周防国田布施にいた護良親王の後裔である大室寅助(大室寅之祐)に任せて明治天皇とし、京都堀川の本圀寺内に極秘造営された堀川御所に入られた。
明治、大正、昭和、平成の政体天皇とは別に、孝明天皇、睦仁親王から現在まで続く裏の皇統を称して、「京都皇統」と落合が著作物内において便宜的に呼称した。なお、本圀寺は、1971年に、堀川から山科へ移転している』と記されています。孝明天皇は、本来の明治天皇になるべき睦仁親王と共に偽装死として裏に潜んだのです。そして、表の天皇を田布施の大室寅助にすり替えて明治天皇にされました。
面白いことに、京都堀川の本圀寺(現在は山科)は日蓮宗の大本山なのです。今日の松利権ネットワーク集団の日蓮宗系の創価学会に繋がります。歴史の真実を探求する上で、落合莞爾説は非常に有用だと思います。しかし、「薩摩ワンワールド」「ワンワールド」というワードを使用していますが、敢えて「ロスチャイルド」の言葉を使わないようにしているように見えます。孝明天皇のウィキペディアの中に、ヒントと思われる文章があります。
『京都守護職である会津藩主・松平容保への信任は特に厚かったと言われる。その一方で、尊攘派公家が長州勢力と結託して様々な工作を計ったことなどもあり、長州藩には最後まで嫌悪の念を示し続けた。この嫌悪感については「孝明天皇記」に記録された書簡に明記されている』とあります。会津戦争などの戊辰戦争を含め、会津藩主・松平容保は、松取り(松果体収穫)の現場トップの役割だったと感じます。
《2人の市長の銃撃事件・射殺事件が起きた長崎市に潜む松利権の闇》にありますが、長崎市の初代市長・北原雅長は旧会津藩士でした。京都守護職となった藩主松平容保とともに京に上り、藩主近くで機密事項を担当しながら、禁門の変にも参加しました。1868年、会津戦争では、母成峠の戦いで大鳥圭介や田中源之進らの隊の参謀役を務めたのち、藩主のもとで籠城戦を指揮し降伏するまで戦いました。
自然豊かな会津の地である故に、古くから松取りが行われ、会津藩から多くの松取り工作員が輩出されています。孝明天皇は、松利権支配のために裏に潜んで、裏天皇の支配体制を作ろうとしたのだと感じます。表の米国の闇(ロックフェラー・長州)と裏の欧州の闇(ロスチャイルド・薩摩)というDS(ディープステート)の闇の構図です。孝明天皇(1831年-1867年)、明治天皇(大室寅助:1852年-1912年)の御魂が上がるよう意図して光を降ろしました。
「DS」「創価」と伝えられました。やはり幕末維新には、天皇も絡んだ壮大な工作が成されていたのです。《ひめとあとむのブログ(旧サファイアのブログ》には、歴代の裏天皇について記されています。初代裏天皇・睦仁親王、2代目・堀川辰吉郎、3代目・前田ゴロウ、4代目・中丸薫(推定)とされています。歴代の裏天皇の中でも重要なのが「大日本皇道立教会」が仕え守護する対象である堀川辰吉郎です。
ウィキペディアには、『堀川辰吉郎(1891年-1966年)は、大日本国粋会総裁秘書長。世界救世教元最高顧問。善隣会最高顧問。俗に出口王仁三郎の黒幕、大アジア主義者と称する怪シナ浪人とも呼ばれ、西園寺公望や明治天皇の御落胤と称して「昭和の天一坊」とも呼ばれた人物。1912年(明治45年/大正元年)当時、活動写真(無声映画)の九州全域への配給会社を経営していた。
1930年(昭和5年)の「教育映画目録」には「萬國商會活動寫眞部堀川辰吉郎」の記載があり、1931年(昭和6年)4月1日、国粋社発行の機関誌「国粋」によると、大日本国粋会総裁秘書長・堀川辰吉郎の名がある。大日本国粋会は頭山満が顧問を務めており、また同誌には「男の中の男・堀川辰吉郎君」として経歴を載せた記事がある。それによれば、堀川は、大日本国粋会の大木遠吉総裁の知遇を得た。
そして、同会総裁秘書長となった事や、九州、沖縄、朝鮮、満州、台湾、山口県に、河合映画、アジヤ映画、山口商会(右太衛門プロの第二部作品)3社の映画配給権を所有していたことが記されている』と記載されています。映画配給権で思い出したのが、《菅首相の長男が関与する東北新社による総務省の違法接待の裏側》にある総務省の接待問題で、菅義偉前総理の息子が関与していた「東北新社」です。
東北新社は、東京都港区赤坂に本社を置いた、映画製作・配給、海外テレビ映画の輸入配給・字幕吹替の翻訳などの会社です。映画配給権は、裏で松製品を流して商売する松利権に繋がると見ています。睦仁親王、堀川辰吉郎の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「この人は本物だと思う」「でっち上げ。金。サンカ。半島」と伝えられました。中丸薫(1937年-)に闇の解除・統合を意図して光を降ろしました。
「ワニ」と伝えられました。ワニの宇宙人は、松取り工作を司る存在です。明治天皇のすり替えと裏天皇の構築は、表と裏の2重の松利権ネットワーク集団を作り、日本を暗闇にする仕組だったと感じます。表の米国派の工作集団と裏の天皇派の工作集団が松利権の支配拡大でせめぎ合いながら、明治以降の日本を深い闇にするためでした。日本を封じて来たDS、創価の闇の仕組が終わりになることを願っています。(おわり)