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4日、毎日新聞の《拉致被害者家族 岸田内閣は「とにかく行動を」早期解決求める》のニュース記事を読みました。「もう、そろそろ北朝鮮による日本人拉致という嘘の闇が終わりになってもいいけど、この大規模工作の結末は、一体どうなるのだろうか」という思いが浮かびます。過去に北朝鮮による日本人拉致問題について幾つか記事を書きました。《日本の金を狙った工作活動が示唆される北朝鮮による日本人拉致問題》の記事も、その1つです。

 

北朝鮮による日本人拉致問題は、北朝鮮を悪者に仕立てて日朝の対立構図を作り、最終的には米国・軍産複合体が日本への武器販売で利益を得るという暗闇を作ることです。現実的には、日本の税金などの多額の公金を狙った暗黒集団・DSの拉致ビジネス的要素もあると思っています。いずれにしても、DSが日本の国民を騙して日本の金を獲得することが目的であり、それが日本と日本人を封じることになります。

 

アメブロ記事の《横田早紀江 年16億円の拉致被害者ビジネス》には、『「拉致問題対策費用予算」を年間約166千万円も税金から捻出しています』と記載されています。個人的には、家族会は工作部隊と見ています。金の他に、人命が掛かるという弱者の立場を前面に出して、人々の同情と哀れみを募るという"同和"の手法でもあります。実際、北朝鮮による日本人拉致問題に乗じて、総理大臣の地位に登りつめた政治家もいます。

 

日本の多くの政治家が自己の利益のために、北朝鮮の拉致問題を利用しているのです。相当数の人物がDSの工作と利権に絡んでいると感じています。北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)は、1997325日に「救う会と勉強会」という形で結成されました。家族会の結成から約23年の月日が流れています。過去のワークで、家族会の中心メンバーに光を降ろすと胸に六芒星をつけた闇のエネルギー体が光に還っていきました。

 

六芒星の意味は「分離」であり、米国の軍産複合体を司るアークの宇宙人だったと感じます。今回、長い暗闇が終わることを願い、北朝鮮による日本人拉致問題の全貌が明らかになるように、具体的な調査とワークを行うことにしました。ウィキペディアによれば、『北朝鮮による拉致被害者家族連絡会は、北朝鮮による日本人拉致問題の被害者である家族と親族らによって結成された団体。通称は家族会。

 

日本人拉致問題の早期解決、拉致被害者の全員帰国を求めて、各地での署名運動や講演、日米政治家への働きかけ等を行っている。1997 325 - 結成。救う会と勉強会。51 - 日本政府が「710人が北朝鮮に拉致された疑いが濃厚」と発表。以後北朝鮮の拉致問題が表面化。20003 - 日本政府の北朝鮮へのコメ10万トン支援決定に対し、自由民主党本部にて座り込みの抗議。

 

2002 917 - 小泉純一郎首相が北朝鮮の金正日総書記と会談。日本人13人を拉致したことを北朝鮮が認め、謝罪。5人生存、8人死亡と伝えられる。1015 - 蓮池薫、奥土祐木子、地村保志、浜本富貴恵、曽我ひとみら、5人の拉致被害者が帰国。2004522 - 小泉首相の再訪朝。蓮池・地村夫妻の子供たちが日本へ帰国』と記されています。今回、家族会の設立者・横田滋を対象にしました。

 

ウィキペディアには、『横田滋(1932-2020)は、北朝鮮による拉致被害者である横田めぐみの父、横田早紀江の夫。北朝鮮による拉致被害者家族連絡会の代表を務めた。北朝鮮による拉致被害者横田めぐみの父。妻は横田早紀江。子どもは長女・めぐみ、長男・拓也、次男・哲也の3人。元北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)代表。徳島県徳島市出身。

 

1997(平成9)2月、長女の横田めぐみが北朝鮮に拉致された疑いが産経新聞などで報じられ、国会でも取り上げられると翌3月、日本各地の被害者家族とともに家族会を結成し代表に就任した。以来、妻の早紀江とともにすべての都道府県を巡回した救出を求める署名活動や1400回を超える講演を重ね救出運動に尽力。その象徴的存在になった。妻は拉致事件をきっかけに洗礼を受けクリスチャンになっていた。

 

2017年(平成29年)には本人も日本福音キリスト教会連合中野島キリスト教会より受洗し、クリスチャンとなった。1951年:北海道札幌南高等学校卒業後、日本銀行(札幌支店)入行』とありました。Wikipediaを読んで気になったのは、「徳島県生まれなのに、札幌南高校を出て、日銀札幌支店に入ったのは何故なのか」という事でした。ネットで調べると貴重な情報が掲載されている《Tamejirou》を見つけました。

 

『横田滋氏は昭和19年頃に旧制徳島中学から旧制札幌一中に父親の転勤に伴って転校しており、その父親の横田庄八は現在の大東文化大学の前身である大東文化学院の卒業生で、旧制徳島中学、旧制札幌一中、札幌南高で漢文の教師を務め、札幌南高の教頭を経て栗山高校の校長を務めた教育者である』と記載されていました。横田滋の父親・横田庄八が教師で、校長となった「栗山高校」が気になりました。(つづく)