鳩山和夫(1856年-1911年)は、武蔵国江戸虎門(現・東京都港区虎ノ門)出身の政治家、法律家で、日本人第1号の法学博士です。外務次官、衆議院議長を歴任し、教育でも専修学校(現・専修大学)の設立に大きく貢献をした功労者です。また、東京専門学校(現・早稲田大学)の校長なども務めました。1875年、開成学校(現・東京大学)を卒業して、第1回留学生に選ばれ、米国へ留学します。
コロンビア大学で法学士を取得し、1880年、イェール大学で法学博士号を取得しました。生涯にわたって北海道開墾に影響力を発揮し、栗山町の「栗山共同農場」を擁する地区は鳩山川・鳩山池・鳩山神社(旧称・紅葉神社)まで現存する「鳩山地区」と呼ばれました。鳩山和夫と長男で創価教育学支援会の創設メンバーの元総理大臣・鳩山一郎(1883年-1959年)の御魂が上がるよう意図して光を降ろしました。
「工作員」「ちょっと品があるトカゲ。金」と伝えられました。曾孫で元総理大臣・鳩山由紀夫(1947年-)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「宇宙人」と伝えられました。鳩山由紀夫・元首相は、そのままの感じでした。栗山町に縁が深い鳩山和夫と同様に、家族会の創設者・横田滋の父親・横田庄八も工作員だったと感じます。これまでのワークやヒプノセラピーから、工作員は個人ではなく、先祖から引継がれる場合が多いです。
恐らく横田家は工作員の家系だと推察します。《Tamejirou》には、『横田庄八は現在の大東文化大学の前身である大東文化学院の卒業生である。また、めぐみの弟の横田拓也も大東文化大学の卒業生の様である。横田家と大東文化学院の縁は深い。大東文化協会が漢学の振興を目的に華族により設立された財団である事を考えると、横田庄八は大東亜共栄圏の思想に関係が深いと思われる』と記されています。
横田庄八を含む横田家を知る上で、大東文化学院(現・大東文化大学)は大きなヒントでした。かつて大東文化学院及び大東文化学院専門学校(旧制専門学校)を運営していた法人が「大東文化協会」です。大東文化協会は、木下成太郎(衆議院議員・実業家)が中心となって帝国議会衆議院本会議において「漢学振興ニ関スル建議案」が可決され、その設立母体として誕生しました。主に旧華族の関係者が設立に尽力しました。
そのため、歴代協会会頭、その教育機関である大東文化学院の総長や幹部の多くが旧華族であり、戦前の首相、閣僚関係者が数多く関わっています。初代総長は平沼騏一郎(元内閣総理大臣、男爵)、初代会頭は大木遠吉(鉄道大臣、伯爵)です。歴代の幹部・賛同者として、近衛文麿(賛同者、元内閣総理大臣、公爵)、渋沢栄一(評議員、実業家)などがおり、戦後も岸信介(元内閣総理大臣)を後援会長に、 副会長に福田赳夫(同)など多くの政界、財界人が支援してきました。
「大東文化協会」の関係者や支援者のメンバーから、明らかに松(松果体)利権の支配層集団だと感じます。松システム構築の中心的存在である渋沢栄一が入っていることがポイントです。「Tamejirou」が指摘しているように、大東文化協会のベースには、「大東亜共栄圏」があると見ます。コトバンクによると、大東亜共栄圏は、『中国や東南アジア諸国を欧米帝国主義国の支配から解放し、日本を盟主に共存共栄の広域経済圏をつくりあげるという主張。
太平洋戦争期に日本の対アジア侵略戦争を合理化するために唱えられたスローガンである』と記載されています。戦時中の大東亜共栄圏は、日本、中国、満州を中軸に、インドシナ、フィリピン、タイ、ビルマ、ニュージーランド、オーストラリア、インドを含む広範な地域の松利権の支配拡大を狙ったものだったと見ています。この松利権は裏世界のものであり、実質的には上級国民である支配層が経済的利益を得るためのネットワーク構築だったと感じます。
創価学会という松利権集団が日本国内で構築され、それを中国、東南アジア全体に拡大することを目的にしたのだと思います。戦争を隠れ蓑として、天皇をトップとする日本の支配層がより金儲けできるシステム形成を狙っていたのです。創設者・木下成太郎(1865年-1942年)の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「「北海道を踏台にして出世した人。トカゲ。金」と伝えられました。大東文化大学の理事長・中込秀樹(1941年-)は、東京都出身の法学者で、元裁判官、弁護士です。
1965年、東京大学法学部卒業し、1975年
サザンメソジスト大学ロースクール修了(比較法修士・メソジスト監督協会設立)しました。1977年東京地方裁判所判事、1977年最高裁判所事務総局行政局参事官、1979年 最高裁判所事務総局行政局第二課長、2005年 名古屋高等裁判所長官を歴任しました。2008年 株式会社ユニバーサルエンターテインメント社外取締役、アルゼ株式会社社外取締役、三井倉庫株式会社社外監査役 2012年 JXホールディングス株式会社社外監査役に就いています。
学長・内藤二郎は、1965年神戸市に生まれました。1989、年同志社大学経済学部を卒業しました。1997年、神戸商科大学(現兵庫県立大学)大学院経済学研究科博士前期課程修了し、1998年に外務省在広州日本国総領事館専門調査員に就きました。2002年、神戸商科大学(現兵庫県立大学)大学院経済学研究科博士後期課程・博士(経済学)修了しました。大東文化大学の理事長、学長に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「創価。反社」「トカゲ」と伝えられました。(つづく)