電機学校(現・学校法人東京電機大学)の創立者である廣田精一と扇本眞吉は、1914年(大正3年)11月 、理工学専門書、コンピュータ関連書などを出版する「株式会社オーム社」を設立しました。社名の由来は、抵抗の単位であるオーム(Ω)です。理工学関係の書籍および雑誌を発行しています。電気電子、応用物理、情報科学、情報通信、機械、建築、土木、空調衛生設備、科学、環境、生命科学、医学などにおよびます。
書籍は、学術専門書、教科書、一般書、実用書、資格試験参考書にいたる多彩な単行本を多数発行します。「オーム社」の名前の由来のオームから連想するのが「オームの法則」です。 オームの法則とは、導電現象において、電気回路の部分に流れる電流とその両端の電位差の関係を現す法則です。クーロンの法則とともに電気工学で最も重要な関係式の一つです。オームの法則は、電気回路の2点間の電位差が、その2点間に流れる電流に比例することを主張するものです。
1781年にヘンリー・キャヴェンディッシュが発見しましたが、その業績は死後数十年のちに1879年にその遺稿を纏めたマクスウェルが「ヘンリー・キャヴェンディシュ電気学論文集」として出版するまで世間には未公表であったため知られておらず、1826年にドイツの物理学者であるゲオルク・オームによって独自に再発見・公表されたため、その名を冠してオームの法則と呼ばれます。オーム社の社長に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「分からない」と伝えられました。
イギリス・スコットランドの理論物理学者であるジェームズ・クラーク・マクスウェル(1831年-1879年)、ドイツの物理学者であるゲオルク・オーム(1789年-1854年)の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「宇宙のエネルギーをごまかして隠すため」「悪魔崇拝」と伝えられました。やはり物理化学などの科学は、宇宙エネルギーを隠すための三次元の理屈です。根底には、悪魔崇拝や松取り(松果体収穫)の支配層の人間の闇を隠蔽するためだと感じます。
また、「オーム」は、バラモン教をはじめとするインドの諸宗教において神聖視される呪文の「オーム(聖音)」とも繋がっていると感じます。呪文は、真実を隠すための「術」であり「闇のエネルギー」です。カタカムナ文献の発見者の楢崎皐月が、絶縁油の開発に着手した日本石油について探っていきました。日本石油のウィキペディアには、『1888年(明治21年)5月10日 - 有限責任日本石油会社が発足。本社は新潟県刈羽郡石地村(現・柏崎市西山町石地)。
9月28日 - 本社を新潟県三島郡尼瀬村(現・三島郡出雲崎町尼瀬)に移転。1890年(明治23年)12月 - 尼瀬製油場が操業開始』と記されています。有限責任日本石油会社の本社所在地の新潟県刈羽郡石地村(現・柏崎市西山町石地)をグーグルマップで調べると日本海沿であり、「柏崎刈羽原子力発電所」から約12km北側に位置する場所でした。柏崎刈羽原子力発電所は、「表の原発、裏のアドレノ工場」だと仮説を立てています。
《ロスチャイルド勢力の田中角栄と渋沢栄一が直結する理研コンツェルンと柏崎刈羽原発》にありますが、柏崎刈羽原発の近くには、田中角栄元首相の実家があります。田中角栄は、日本の松システムの構築の中心人物である渋沢栄一と理研コンツェルンを通じて深く関係していました。有限責任日本石油会社は、松システムの構築のために柏崎市に設立されたと見ました。そのヒントを得るために、さらに、有限責任日本石油会社をネットで調べていきました。
《渋沢社史データベース》の"日本石油(株)「日石五十年」(1937.05)"には、『明治21年(1888)5月10日有限責任日本石油会社新潟県刈羽郡石地町に設立せらる。資本金十五万円。常務理事内藤久寛、理事山口権三郎、牧口荘三郎、本間新作、岸宇吉諸氏』と記載されていました。「牧口荘三郎」の名前が、創価学会の設立者「牧口常三郎」に似ていました。気になり調べていくと《創価学会初代会長 母親が無理心中強要したと親戚が語っていた》の記事に行き着きました。
『ある日、イネさんは常三郎と姉を抱いて、海の中に入ってしまったそうです。ええ、入水自殺です。ところが、たまたま通りかかった船が、仮死状態の親子を助け上げたそうです。その船が、牧口船団だったんです。助けられた親子は、そのまま四代目の牧口荘三郎(この代のみ「庄三郎」ではなく「荘三郎」)の家に引き取られました』とありました。七代目牧口庄三郎の姉の三井田矩子(八十三歳)の話だといいます。
《柏崎市WEBミュージーアム》には、『幕末、荒浜の廻船業者。3代目牧口庄三郎は、困苦に耐えつつ一攫千金の夢を実現する』などと3代目牧口庄三郎(1804年-1882年)の略歴・解説が書かれていました。また、《柏崎市の歴史》には『1879(明治12)年8月6日県会議員当選者、柏崎松村文次郎(40年7ヶ月)・荒浜牧口庄三郎(43年5ヶ月)・横沢山口権三郎(42年4ヶ月)・岡ノ町村山藤栄(47年2ヶ月)(新潟新聞)』と記されています。4代目牧口庄三郎(荘三郎)は新潟県会議員でした。
創価学会創始者の牧口常三郎は、北前船の廻船業者で新潟県会議員の4代目牧口庄三郎(荘三郎)の養子となったのです。有限責任日本石油会社の設立に、4代目牧口庄三郎(荘三郎)が関わっていたことは、養子となった牧口常三郎が牧口家などの背後の意図を引継いで、創価学会いう裏世界の松利権集団を計画して形成していったと読めます。日本石油、東京電力の柏崎刈羽原発、創価学会が繋がります。裏の松利権という金儲けの隠れ蓑としての表の企業の構図が浮かんできます。(つづく)