北朝鮮による日本人拉致問題に関する団体を調べると、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)」「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)」「特定失踪者問題調査会」の3団体があります。北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)については、《日本を封じる北朝鮮による日本人拉致問題・家族会という大規模工作の闇》などの一連の記事で、家族会の創設者・横田滋などの関連ワークを行って来ました。
「拉致問題対策費用予算」を年間約16億6千万円も税金から捻出している北朝鮮による日本人拉致問題は、ある意味、国家プロジェクトとしての大規模工作の様相を呈しています。日韓の慰安婦問題と同様に、DSという暗黒集団の仲間に日本国民の巨額な税金を流用する手法となっていると感じます。家族会、救う会全国協議会、特定失踪者問題調査会について、さらにネットで調べてワークを行うことにしました。
家族会の現会長は、北朝鮮による拉致被害者とされる田口八重子の長兄の飯塚繁雄です。《HMV&BOOKS online》によると、『飯塚繁雄は、1938年東京都中央区生まれ。1953年日産ディーゼル工業(株)に入社。現在、(株)愛工舎工場長』と記されています。飯塚繁雄に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「日本DS」と伝えられました。救う会は日本の市民団体で、北朝鮮による日本人の拉致被害者を救出する目的で結成されました。
「救う会」は、北朝鮮に拉致されたすべての人々を救出するための日本国内の救出運動団体の総称で、1998年(平成10年)月より活動を開始しました。法人格は取得しておらず、任意団体として活動しており、教授などの有識者や朝鮮半島関連の研究者も参加しています。与野党の国会議員で結成された「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟」(拉致議連)とも連携して活動を行っています。
救う会のワーク対象として、名誉会長・藤野義昭、会長・西岡力、事務局長・平田隆太郎、東京都文京区音羽の本部を選びました。藤野義昭(1938年-)は、満州国新京生まれの弁護士、政治活動家です。北朝鮮による拉致と人権問題にとりくむ法律家の会代表共同代表、日本会議北海道本部前議長、2007年夏まで維新政党・新風講師団でした。2008年7月3日、佐藤勝巳の後任として救う会代表に選出されました。
西岡力(にしおかつとむ:1956年-)は、東京都生まれの現代朝鮮研究者で、麗澤大学客員教授、公益財団法人モラロジー研究所歴史研究室長・教授に就いています。1979年、国際基督教大学卒業し、筑波大学大学院地域研究科修士課程修了後、韓国・延世大学校国際学科に留学します。1982年から1984年まで外務省駐ソウル日本大使館に専門調査員として勤務します。1984年から1991年まで 現代コリア研究所主任研究員でした。
1991年から東京基督教大学神学部専任講師、1996年に同助教授、2000年に同学部国際キリスト教学科教授を歴任します。1990年から2002年まで、月刊「現代コリア」編集長でした。また、1998年4月「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)」の設立に関与します。中西輝政、八木秀次、島田洋一、伊藤哲夫と共に安倍晋三首相のブレーン「五人組」の1人と東京新聞に報じられたこともあります。
西岡力の経歴にある「公益財団法人モラロジー研究所」は、別の機会で詳細を記しますが、日本DSの主要人物への重要なヒントとなっていました。平田隆太郎は、1951年生まれで、早稲田大学政経学部を卒業しています。あすか青年育成国際財団事務局長、伊達物産アジア研究所長などを歴任しました。救う会の名誉会長・藤野義昭、会長・西岡力、事務局長・平田隆太郎、本部に闇の解除・統合を意図して光を降ろしました。
「半島。金」「DS」「ワニ」「光は入りました」と伝えられました。特定失踪者問題調査会は、不在者・失踪者について北朝鮮による拉致の可能性を調査している任意団体であり、法人格は取得していない市民団体です。2002年(平成14年)9月の小泉純一郎首相の北朝鮮訪問、同年10月の日本国政府認定拉致被害者5名の帰国を受け、「救う会」に対し、失踪者のいる家族から、自身の家族の失踪と北朝鮮による拉致との関連を疑う問い合わせが、多く寄せられるようになりました。
このため「救う会」ではこうした家族や関係者から問い合わせのあった「北朝鮮による拉致の可能性を完全には排除できない失踪者」の調査を行うことになりました。2003年、この調査活動を「救う会」から分離し、「特定失踪者問題調査会」が設立されました。元代表(元会長)は荒木和博です。荒木和博(1956年-)は、東京都生まれの評論家、政治活動家、人権活動家です。拓殖大学海外事情研究所教授、元陸上自衛隊予備陸曹長を歴任しました。
慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後、民社党本部書記局に入局し、教育・広報・青年運動などを担当します。1993年(平成5年)、第40回総選挙に旧東京7区から無所属で立候補しましたが落選します。1994年(平成6年)、民社党の解党に伴い退職し現代コリア研究所で研究部長となり、1996年(平成8年)、拓殖大学海外事情研究所に客員講師に就きました。荒木和博に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「半島。金」と伝えられました。
拉致問題には「現代コリア研究所」が深く関わっており、朝鮮半島工作における重要な工作組織と見ました。現代コリア研究所は、日本人の立場から隣国である南北朝鮮の政治、経済、社会、文化、在日韓国・朝鮮人問題など各方面にわたる研究を進めるために任意機関として設立されました。1984年から佐藤勝巳が所長です。1961年に日本朝鮮研究所として設立され、雑誌「朝鮮研究」を出版します。
1984年、誌名を「朝鮮研究」から「現代コリア」に改題します。2007年11月、紙媒体の「現代コリア」を休刊させ、電子版に完全移行しました。インターネット上では日韓の専門家の論文を掲載しています。元所長の佐藤勝巳(1929年-2013年)は、新潟県出身の評論家、雑誌編集者、人権活動家です。「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)」初代会長で、現代コリア研究所所長でした。
元日本共産党員でもあります。旧制中学を卒業後、新潟県立巻高等学校を中退し、川崎汽船に勤務しますが、1950年、労働組合専従だったためにレッドパージを受け失職しました。在日朝鮮人の帰還事業に参加し、北朝鮮から2度にわたり勲章(「朝鮮民主主義人民共和国赤十字栄誉徽章」)を授与されました。佐藤勝巳の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「半島」と伝えられました。現代コリア研究所は、工作のシンクタンクと感じます。
松利権ネットワークの拠点でもあると見ています。今回の北朝鮮による日本人拉致問題に関する3団体のワークから、北朝鮮による日本人拉致問題には、DSという松利権ネットワークの暗黒集団に日本の金が流れるように仕組まれたと感じます。平気で嘘をつくDS工作員の背後には、ワニやトカゲがいます。彼らは、人間のエゴを利用して金で操って暗闇にする仕事をして来ました。日本を封じる朝鮮半島の工作の闇が終わりになることを願っています。