
殺害された熊本大学の女性研究員・楢原知里(ならはらちさと)さんは、熊本大学に勤務する前には、長崎大学で研究員の仕事をしていました。《気になる君ニュース》には、『楢原知里さんは崇城大学生物生命学部(工学部)応用生命科学科卒業後には長崎大学の熱帯医学研究所の助教を務め、熊本大学ヒトレトロウィルス学共同研究センターで特定事業研究員を務めていました』と記されています。
《隠して金儲けする工作員養成所として長崎養生所を設立したオランダ人医師ポンペ》にありますが、天皇の裏の仕事を担う秘密結社の八咫烏は、京都府に拠点を置いており、京都大学がその1つだと見ています。京都大学の源流が長崎養生所であり、オランダから松取り(松果体収穫)の医療を伝えられました。また、長崎養生所は、旧長崎医科大学の前身であり、今の長崎大学医学部と長崎大学病院に繋がってきます。
こうした経緯から、医学部を中心として京都大学と長崎大学は歴史的な結束が強いと捉えています。楢原知里さんは、過去世でも長崎と熊本に関係していたのではないかと思います。今回の事件のワークには、熊本大学と長崎大学の歴史を調べて、対象に光を降ろすワークを行う必要がありました。熊本大学は、1949年に設置された、本部を熊本県熊本市中央区黒髪に置く国立大学です。
熊本大学は、旧制熊本医科大学、旧制熊本薬学専門学校、旧制熊本師範学校、旧制第五高等学校、旧制熊本高等工業学校、旧制熊本青年師範学校の6つを包括して発足した国立大学です。現在、7学部8研究科を有しています。キャンパスは、旧制五高から引き継いだ黒髪キャンパス北地区、旧制熊本高工から引き継いだ、豊後街道を挟んで黒髪キャンパス南地区、旧制熊本医大から引き継いだ九品寺キャンパス、旧制熊本薬専から引き継いだ大江キャンパスに分かれています。
旧制熊本医科大学は、江戸時代の宝暦年間の熊本藩校「再春館」を前身とします。再春館は、熊本藩の第6代藩主細川重賢(ほそかわしげかた)が宝暦6年(1756年)に設立した藩校(医学校)です。北里大学学祖、慶應大学医学部創立者で「近代日本医学の父」と呼ばれた北里柴三郎らを輩出しました。再春館関係のワークの対象として、設立者の細川重賢と古城医学所(古城病院)に招請されたマンスフェルトを選びました。
ウィキペディアには、『細川重賢(1721年-1785年)は、江戸時代中期の大名。肥後国熊本藩6代藩主。熊本藩細川家7代。紀州藩第9代藩主・徳川治貞と「紀州の麒麟、肥後の鳳凰」と並び賞された名君であった。重賢の改革は財政だけに留まらず、宝暦4年(1754年)には熊本城内に藩校時習館を設立し、許可が得られれば身分に関係なく入校が出来た。江戸の湯島聖堂、岡山の閑谷学校など、将軍や藩主のための学問所、藩校はあったが、家臣や領民、藩外へも広く門戸を開いた日本初めての学校とされる。
日本最初の公立の藩の医学校再春館を宝暦6年(1756年)に飽田郡宮寺村(現在の二本木)に創設、翌年開校した。その付属の薬草園も現在の薬園町に作った。重賢は蘭学に傾倒し、薩摩藩の島津重豪、久保田藩の佐竹義敦らと共に蘭癖大名と称された』とあります。細川重賢の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「松を主にしていた人。先見の明がある」と伴侶が伝えて来ました。金に繋がる松取りのための再春館の設立だったと感じます。
ウィキペディアによると、『マンスフェルト(コンスタント・ゲオルグ・ファン・マンスフェルト:1832年-1912年)は、オランダの予備海軍軍医。長崎、熊本、京都で日本人に医学を教え、その後、大阪病院に転勤した。1879年に帰国。熊本における教え子に北里柴三郎、緒方正規、浜田玄達らがいる。アムステルダム近郊のディーメルメールに生まれた。1849年から1853年までユトレヒト陸軍軍医学校で教育を受けた。
同大学で研修。長崎で医学を教えていたヨハネス・ポンペ・ファン・メーデルフォールトの後任に推薦されたが、東インド政府が承認しなかった』と記されています。マンスフェルトの御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「オランダヤクザ」と伝えられました。熊本大学医学部、熊本大学病院、熊本大学のトップも対象に選びました。医学部長・山縣和也、院長・馬場秀夫、医学部・病院の所在地(熊本県熊本市中央区本荘)に闇の解除・統合を意図して各々に光を降ろすと「アークの闇」「レプ。人喰い」「地下あり」と伝えられました。
《Enjoy!人間学!》によると、熊本大学学長・小川久雄の経歴は、『1953年3月26日生まれ。68歳。徳島県出身。徳島県立富岡西高校-熊本大学医学部卒。1984年より31年に渡り、同大学に医員、助手、講師,助教授、教授として奉職。2016年国立循環器病研究センター理事長に就任。2021年4月、第14代熊本大学学長に就任』とあります。熊本大学学長、キャンパス(熊本県熊本市中央区黒髪)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「ずるい悪い。力がある」「地下あり。松」と伝えられました。(つづく)