12月2日、夜になって右太腿の上部に痒みを覚えました。痒みの部位から、トヨタ車体研究所や楽天信託のメガソーラーと同じ鹿児島県霧島市の辺り場所でした。グーグルマップで霧島市を詳細に観ていくと、「京セラ国分工場」が気になりました。霧島市のウィキペディアにも京セラ国分工場の記載があったことを覚えていました。京セラは1年前に《京セラの原点となる松風工業を創業した清水焼窯元の三代目・松風嘉定》などのワークで光を降ろしていました。
京セラの原点が「松風工業」で、名前の通り「松」に関係していることが分かっています。京セラ国分工場は、半導体製品などの電子部品を生産しています。西日本新聞には『京セラ(京都市、谷本秀夫社長)は20日、ファインセラミック事業の拡大などを目的に、鹿児島国分工場(霧島市国分)に新たに工場2棟を建設する立地協定を霧島市と結んだ。約110億円投資し、2022年10月から順次操業する。
第5世代(5G)移動通信システムの普及などに対応し、半導体製造装置に使うファインセラミック部品の生産能力を従来の2倍にするほか、他事業の生産スペースを確保する』とあります。鹿児島県霧島市国分山下町に所在する京セラ国分工場に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「松をつくっていた」と伝えられました。やはりトヨタ車体研究所と同様に「松」に関係している場所のようでした。
ウィキペディアによると『京セラ株式会社は、京都市伏見区に本社を置く電子部品、ファインセラミック部品、半導体部品、情報機器、通信機器、太陽電池、セラミック、宝飾、医療用製品などを製造する大手電子部品・電気機器メーカーである。1959年4月1日 - 稲盛和夫が京都市中京区西ノ京原町で、ファインセラミックスの専門メーカー「京都セラミツク株式会社」として設立。
1971年10月 - 大阪証券取引所第2部、京都証券取引所に株式を上場。1972年7月 - 京都市山科区に新社屋を建設、本社を移転。1982年10月1日 - 「京セラ株式会社」へ商号変更。1984年6月 - 京セラを中心とする25社で第二電電企画を設立。2008年4月 - 三洋電機の携帯電話事業を継承。2013年10月 トッパンNEC サーキットソリューションズを買収。2015年9月 - 日本インターを買収。
2016年4月1日 - 子会社の京セラサーキットソリューションズ、京セラケミカル、京セラソーラーコーポレーション(太陽光発電機器の販売事業)を吸収合併。2019年4月 - 太陽光発電システムを活用した電力サービス事業を行う、京セラ関電エナジー合同会社を設立』と記されています。京セラの創業者兼名誉会長は稲盛和夫です。稲盛和夫(1932年-)は、鹿児島県鹿児島市出身の実業家です。
京セラ・第二電電(現・KDDI)創業者で、公益財団法人稲盛財団理事長、「盛和塾」塾長、日本航空名誉会長でもあります。1932年(昭和7年)、鹿児島県鹿児島市薬師町に7人兄弟の二男として生まれます。父の畩市は「稲盛調進堂」という名で印刷工場を経営していました。大阪大学医学部の受験に失敗し、当時は新設大学であった鹿児島県立大学(現・鹿児島大学)の工学部応用化学科で、有機化学を専攻しました。
1955年(昭和30年)、鹿児島県立大学工学部を卒業後、有機化学の教授の紹介でがいしメーカーの松風工業(現在の株式会社松風)に入社しました。小沢一郎とは新進党時代からの仲であり、後の民主党を支持して、前原誠司の後援者ともなりました。しかし、2011年2月8日、日本記者クラブで会見し、政権交代後の民主党の体たらくに落胆した、政権交代も民主主義の結果であるが、色んなことが起きて新たな政治体制もできあがるだろう、歳もとったので今後は党への支援には距離を置き静観すると述べました。
2012年には小沢とともに日本未来の党の結党に参加、「びわこ宣言」の賛同人に名を連ねました。また、国民民主党結党後も前原の東京後援会の代表者をしています。2010年1月に日本航空 (JAL)の代表取締役会長として日航再建に取り組むよう、鳩山由紀夫首相(当時)から要請されました。2月1日からJALの会長を無給で務め、2012年に会社更生法の適用から2年で営業利益2000億円というV字回復を果し、建て直しに成功しました。
京セラの社長・谷本秀夫(1960年-)、会長・山口悟郎(1956年-)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「日本DS」「トカゲ」と伝えられました。京セラの創業者兼名誉会長・稲盛和夫、京都府京都市伏見区竹田鳥羽殿町に所在する本社に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「創価。日本DS。半島」「地下あり」と伝えられました。過去のワークから創価学会と日本航空(JAL)は、"鶴丸"が共通していると分かっています。
"鶴丸"のマークは、九州を拠点とする松取り(松果体収穫)工作部隊であった和仁氏の家紋でもあります。これまでのワークからJALは、松ネットワークの運搬役を担って来たと感じます。JAL123便の日航機墜落事故の真実を隠蔽した深いカルマの闇に覆われています。それ故に、倒産したJALを再建し、V字回復させた実績を持つ名誉会長の稲盛和夫は、裏世界の松利権ネットワークにおいて力を有する重要人物だと見ています。
トヨタ車体研究所のトヨタグループ、メガソーラーの楽天信託の楽天グループに加えて京セラも鹿児島県霧島市に関係しています。何故、鹿児島なのかと言えば、幕末維新で活躍した西郷隆盛、大久保利通など著名な志士を薩摩藩が輩出し、力を持っていたからです。表の米国派(ロックフェラー)の長州と裏の天皇派(ロスチャイルド)の薩摩の闇の支配の構図が構築されました。ロスチャイルドをバックにした薩摩藩は、実質的に松利権を支配していたと見ています。
また、地下壕のワーク記事にありますが、鹿児島県は地下壕の数が日本で一番多いのです。戦時下の地下壕では松取りが行われていました。地下壕の数が一番多いという事は、松取りが盛んに行われていた証でもあります。水の地でもある薩摩の地は、「裏インド」という深い闇の拠点となったのです。日本を暗闇にするために、大きな光の地ほど深い闇の地にされてきました。鹿児島の地が本来の光の地に戻ることを願っています。