Komatsushima_city_view


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10日、中央右側の腹部に弱い痛みがありました。ワークのサインだと感じましがた、腹部は場所を特定するには難しい場所です。感覚的には四国か紀伊半島の辺りだと思いました。グーグルマップの詳細な地図で観ていくと、四国の徳島県小松島市(こまつしまし)だと感じました。ウィキペディアを読むと『徳島赤十字病院などを中心とした「医療福祉都市」へと変わろうとしている』という一文があり、小松島市だと確信しました。

 

小松島市は、徳島県のおよそ東部中央、紀伊水道沿岸に位置する市です。徳島県の東側に位置し、古くは屋島に逃れた平氏を討つために源義経が小松島より上陸したという義経伝説や、阿波狸合戦、金長狸民話などで知られる市です。小松島市は、その歴史から松取り(松果体収穫)の場所だった事が分かります。平安時代には、篠原郷(前原、江田付近)、新居郷(新居見付近)、余戸郷(田野芝生付近)がありました。

 

このうち篠原郷は一時、京都の仁和寺(にんなじ)の荘園であり、この仁和寺は京都の小松郷というところにあったために、この名にちなんで「小松島」の地名が生まれたものと考えられています。これまでのワークから、平安時代の社寺の地方の荘園は、松取りの縄張りと捉えています。荘園は、伊勢神宮や加茂神社などの有名な神社、京都の仁和寺などの仏教宗派のトップの寺院の松利権を生む土地となっているのです。

 

宗教の儀式を隠れ蓑にして松取りが行われてきました。松取りは、人に知られずに密かに行うための儀式を伴う宗教が形作られて来ました。社寺の荘園を守衛し、松取りの現場仕事をするのが刀という武器を所持する武士の役目の原点です。現代から見ると、武士は宗教団体の配下に置かれた反社なのです。また、"義経伝説"からも松取りの場所と言えます。源義経は、源氏の松取り工作員の役割を担っていました。

 

南部鉄器の弁慶松が暗示する源義経の松取り工作部隊の武蔵坊弁慶》の記事にありますが、源義経は、弁慶などの子分を従えて奥州などで戦いをしてきました。全ては松取りが裏の目的でした。戦(いくさ)と呼ばれる戦いは、純粋に勝敗を決するものではなく、松取り工作なのです。松取り目的の真実を隠すために、工作員の作家によって悲劇や美談を含めた英雄伝説が創作されているのです。

 

創作の目的は、純粋に工作だけではなく、本の販売などで金が稼げるというエゴによる要因もあります。松取りの土地は後世に引継がれていきます。松取り工作の場所は、それまでの戦いや宗教の場所から、江戸時代末から医療の場所に変遷して来ました。過去のワークから徳島県には大きな松利権が存在すると分かっていました。ワークを行う前に、徳島の松利権の要因の1つが小松島市にあると予感していました。

 

闇を終わりにするためには、地域の人々を実質的に支配する首長に光を降ろすことは重要です。小松島市の市長は中山俊雄です。ウィキペディアには『中山俊雄(1963-)は、徳島県小松島市和田島町出身の政治家。徳島県小松島市長(1)。元徳島県議会議員(2)。徳島大学付属中学校(現・鳴門教育大学附属中学校)、徳島県立城南高等学校卒業。1986(昭和61)3月、芝浦工業大学建築工業学科卒業。

 

同年4月、鹿島建設に就職。1990(平成2)、帰郷して中山建設株式会社に入社。2002(平成14)、有限会社エヌアイ建設を設立。2011(平成23)4月の徳島県議会議員選挙に無所属で立候補し初当選』と記されています。小松島市の市長・中山俊雄に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「いないかもしれない」と伝えられました。仁和寺は、京都市右京区御室大内にある真言宗御室派の総本山の寺院です。

 

本尊は阿弥陀如来で、開基(創立者)は宇多天皇(867年-931年)です。「古都京都の文化財」の構成資産として、世界遺産に登録されています。皇室とゆかりの深い寺(門跡寺院)で、出家後の宇多法皇が住んでいたことから、「御室御所(おむろごしょ)」と称されました。明治維新以降は、仁和寺の門跡に皇族が就かなくなったこともあり、「旧御室御所」と称するようになりました。宇多天皇の御魂が上がるよう意図して光を降ろしました。

 

「半島の血を引いている」と伝えられました。半島の血ということは"ユダヤ"です。仁和寺の住職・瀬川大秀、京都府京都市右京区御室大内に所在する境内全体に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「創価。反社」「地下あり」と伝えられました。真言宗は、空海(弘法大師)によって9世紀(平安時代)初頭に開かれた、大乗仏教の宗派で日本仏教のひとつです。空海が長安に渡り、青龍寺で恵果から学んだ密教を基盤としています。

 

昭和14(1939)の宗教団体法成立により、真言律宗以外の宗派は真言宗として統合されました。しかし、戦後は分派独立が相継ぎ、現在は約50の宗派があります。そのうち主要な16派の18の総大本山が、昭和33(1958)に、真言宗各派総大本山会(各山会)を各山の連絡親睦・共通事業の主宰を目的に結成されました。これらの寺院を真言宗十八本山といいます。真言宗御室派の総本山の仁和寺は、古くから大きな松利権を有していたと言えます。(つづく)