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2021
1214日、「霧ヶ峰の夢を見た。霧ヶ峰がキーワードかもしれない」と伴侶が話して来ました。霧ヶ峰は大事な湧水の地である八島ヶ原湿原があり、過去に光を降ろしたことを記憶していました。伴侶の夢の「霧ヶ峰」がサインと捉えて調査とワークを行うことにしました。霧ヶ峰 - Wikipediaには『霧ヶ峰は、長野県中部の茅野市、諏訪市、諏訪郡下諏訪町にまたがる火山。八ヶ岳中信高原国定公園内にある。

 

霧ヶ峰の火山活動は八ヶ岳連峰とほぼ同時期の約140万年前からで、現在のような地形になったのは約30万年前である。最高峰は1,925mの車山。車山山頂は気象レーダー観測所があり、360度の展望が素晴らしい。霧の発生が多いことで知られており、1963(昭和38)には年間293日霧を観測した。霧ヶ峰は車山を中心にその外輪山と白樺湖、ガボッチョ、強清水、和田峠などに囲まれた台地で、八ヶ岳中信高原国定公園内にあり面積は約3000ヘクタールである。

 

黒曜石産地であり付近には旧石器時代から縄文時代にかけての遺跡(八島遺跡群、ジャッコッパラ遺跡群など)が存在する。中世になると、御射山(みさやま)の祭りが催され、武士達が狩りや弓矢等の腕比べをしていた(流鏑馬)。現在も旧御射山遺跡として、祭りの時に利用されたと推定される祭壇が神社を囲むように三方の丘の中腹に残っている』と記載されています。旧御射山遺跡(もとみさやまいせき)が気になりました。

 

旧御射山遺跡 - Wikipediaには『旧御射山遺跡は長野県諏訪市八島ケ原湿原内に存在する鎌倉時代の遺跡。旧御射山神社は諏訪大社下社奥宮。旧石器時代、霧ヶ峰高原付近には人が居住していたとされる(八島遺跡:黒曜石の石器が大量出土)。時代は下り、鎌倉時代の素焼き土器(かわらけ:神事等に用いる使い捨ての土器)や、陶器・古銭等が多数出土の旧御射山遺跡(南北370m/東西270m)

 

諏訪大明神(軍神)を祀る御射山祭が開かれ、諏訪・甲斐を中心に関東一円の武士団や幕府重臣が集い、小笠懸,相撲,草鹿,武者競馬等の奉納試合を行った。丘を削って何段もの桟敷が設けられ、10万人とも言われる人数が見物に集まったと言われる(諏訪大明神絵詞)。発掘当初は競技場跡とされたが、遺跡中央より大祝(おおほうり)の宿舎・神殿が出土した事により、祭祀遺跡である事が明らかとなった』と記されています。

 

グーグルマップの旧御射山神社の画像を観ると、石祠を四角の柵で囲んだ独特の神社でした。全体像が映る画像を観ると四隅に柱が建てられていました。《鏡湖と諏訪大社の鏡のワークと重なった諏訪湖は壊すという閃き》で光を降ろした「四隅の柱で囲まれた鏡湖の水神の石(画像)」と同じでした。この時、四隅の柱のある水神は「結界」と伝えられました。四方に柱を立てることは、闇のバリアの「結界を張る」ことだと感じます。

 

御射山祭のコトバンクには、『827日には上社,下社それぞれの狩猟地であった地での御射山祭(みさやままつり)がある。特殊神事中の最大のものは,寅・申の年の4月より5月にかけて行われる式年造営御柱大祭,俗に御柱祭(おんばしらまつり)といわれるそれで,桓武天皇の代に始まるともいわれる雄壮なこの祭りは,それぞれの神殿の四隅に樅(もみ)の大木を立てるもの』と記されています。また「巻狩(まきがり)」と関連があるようでした。

 

「巻狩」は、中世に遊興や神事祭礼や軍事訓練のために行われた狩競(かりくら)の一種で、鹿や猪などが生息する狩場を多人数で四方から取り囲み、囲いを縮めながら獲物を追いつめて射止める大規模な狩猟とされています。しかし、過去のセッションから巻狩は、動物だけではなく、先住民を対象にした松取りだったと捉えています。水源がある霧ヶ峰の光を封じるために人の松取りが隠蔽された武士団の軍事訓練兼神事が行われて来たのです。

 

旧御射山神社と旧御射山遺跡に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「闇が降りた場所。宇宙人の闇。アークだけじゃなくてアヌンナキ、プレアデスの闇も」「地下あり。松取りあり」と伴侶が伝えて来ました。霧ヶ峰の旧御射山神社の場所は、闇の仕事をする宇宙人が降りて霧ヶ峰の地下世界に入って闇にしていったと感じます。八ヶ岳周辺には縄文遺跡が多くありますが、過去のワークで縄文時代の先住民がアークによって虐殺されたと分かっていました。

 

グーグルマップで霧ヶ峰を観ていくと「車山気象レーダー観測所」が目が留まりました。画像を観ると、黒い立方体の上に白い球体が載っている建物です。気象レーダー観測所ということですが、何かが隠されていると感じ違和感を持ちました。過去に長野県のアルプス山脈の宇宙線観測所のワークを行った時に、山を封印する役割だったことを覚えています。気象庁公式サイトには『気象庁は1954年に気象レーダーの運用を開始し、現在、全国に20か所設置しています。

 

気象レーダーで観測した日本全国の雨の強さの分布は、リアルタイムの防災情報として活用されるだけでなく、降水短時間予報や降水ナウキャストといった予報の作成にも利用されています』と書かれています。車山気象レーダー観測所と気象庁長官・長谷川直之に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「表と違うものがある」「アーク」と伝えられました。気象レーダー観測所については、今後の真相究明が必要です。霧ヶ峰の地が本来の光の姿に戻ることを願っています。